今年度(平成十八年度)では、前年度に口頭発表を行った「易緯における世軌と『京氏易伝』」(国際シンポジウム「易と術数研究の現段階」(2005.12.11、東京大学))について、論文にまとめて公開した。これに引き続き、漢代から魏晋にかけての、緯書に対する評価とその変容について調査を行った。そこで、まず、漢魏間の経学史における思想的変遷について検討を行ったが、とりわけ後漢の鄭玄から魏の王粛・王弼に至るまでの経典解釈の手法とその特徴について考察を行った。そのあらすじと記すと以下のとおりである。 周知のように鄭玄礼学における輝かしい学問成果は、他ならぬ「拠伝解経法」の徹底によるものではあったが、ときには「釈義」の完結そのものが目的となって「経」本来の真意からかけ離れた牽強性をもたらしていた。それには経典「言語」に対する、鄭玄の盲目的尊重意識が表れているが、たとえば、鄭玄はその易学において『易』の二大言語ともいうべき「卦画」(記号)と「卦爻辞」(言語)との整合を図ることを目指しており、「卦画」を天神の言語とみなし、それを人間の言語たる「伝」に繋げ、再び「経」(卦爻辞)へ還元するという解釈経路を辿るものであった。要するに経伝内における言語的整合性の獲得が目指されていたのである。ところが、こうした経書の「ことば」への盲信は、のちの魏晋知識人の間で、『易』の繋辞伝に由来する「言不尽意」論をめぐって議論を巻き起こすことになる。とりわけ王弼著『周易略例』に見られる彼の言語観に注目すると、王弼にとって形象・言語を超える真理の獲得は、存在論的「意一象一言」の階梯を認識論的「言一象一意」の階梯によって遡上し、その論理過程を追い究極すること、それによってはじめて真理への入口、「直観」の扉が開かれるとするものであった。それは無媒介的な「直観」を「論理」という媒介によって説明しようとしたものであった。要するに王弼の言語観、それに基づく認識論は「論理」の徹底・究極を「直観」に通ずる認識方法であるとするものであり、それは荊州学の王粛的論理主義の一脈を引き継ぎつつ、荀粲的「直観」へ反転させてものであったといえるものであった。 以上のような検討内容を踏まえながら、とりわけ王弼の生成論および認識論に対する、より詳しい調査・分析を加えて論文執筆を予定している。
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