今年度は、近代歴史学が胚胎した十八世紀における「歴史」(histoire)に対する評価の両義性に着目し、フランス百科全書派の啓蒙思想家達が、なぜ歴史叙述の役割を重視し前世紀にデカルトによって学問の埒外に置かれた歴史の地位向上に貢献する一方で、歴史に対して懐疑的・批判的な哲学的態度を保ち続けたのか、という疑問の検討を試みた。海外出張による資料調査の結果、以下のことが判明した。まず、十八世紀のヴィーコやヴォルテールらによって歴史が学問として再評価を受けた経緯を理解するには、十七世紀末から十八世紀初頭のいわゆる「新旧論争」(「古代人近代人論争」)を挟んで起きた学問的布置の変動に伴う伝統的な「博識」(erudition)の没落と哲学を原理とする学芸の再編を考慮に入れる必要がある。新旧論争で近代派を代表した啓蒙思想の先駆者フォントネル、その後継者ともいえる百科全書派の数学者ダランベールは、ともに博識としての歴史を批判する一方で、個々の歴史事実の背後に潜む原因を分析する「哲学的歴史」の効用を説き、人類の知的進歩の足跡を辿る科学史や文化史を提唱した。しかし、科学者であるフォントネルとダランベールは、数学などの正確科学をモデルに歴史を蓋然的知識として学問から除外したデカルトの認識論的な学問区分をほぼ継承している。とすれば、彼らによる歴史の学問的再評価の特色は、歴史を「有益な知識」、すなわち、現在の社会に生きる人間の精神的・物理的性質の理解に益する知識と見なす人間中心主義的な歴史概念にこそある。その点で、彼らによる歴史の再評価は、十九世紀における人文科学、社会科学としての歴史学の成立のいわば論理的な布石として位置付けられる。来年度は、『百科全書』における「哲学的歴史」の役割に本格的に重点を置いて、引き続き研究を進める予定である。
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