本研究は3年計画で行うもので、奈良時代に大陸の強い影響下にあった日本の装飾文様が、どのような過程を経て日本化していったのかを探ることにある。2年目にあたる本年度の課題は8〜12世紀を中心とした中国の装飾文様の例を収集し、日本の作例と比較することであり、そのため7月22日〜28日にかけて中国陝西省西安市へ赴き、碑林博物館・陝西省博物館・昭陵博物館・臨潼県博物館をはじめとした西安市および周辺の博物館や史跡に所在する唐時代の文物にみられる装飾文様を調査、資料収集を行った。また展覧会図録、美術全集、発掘調査報告等の文献から唐〜宋時代の陶磁器、墓誌、金銀器、壁画にあらわされた装飾文様をピックアップした。そしてこれらの中から日本の装飾文様に関連すると思われるものを抽出、データベースに登録し、宝相華文を中心に中国の作例と日本の作例を比較した。その結果、日本の文様と宋時代のものとは関連がうすく、むしろ中唐・晩唐・遼代早期の文物と関連性があることが明らかとなった。とくに平安時代後期に流行する装飾文様の祖型となる要素を持つ文様は中唐・晩唐期の作例の中にあること、同様の特徴をもつ文様が奈良時代後期にも見られること、また9〜10世紀の日本の文様は中国の文様との相違点も多くみられることが確認され、ことから平安時代後期に成立するとされるいわゆる和様表現の原点は奈良時代後半にあり、繊細優美を特徴とする平安時代後期の文様との間に様式として大きな隔たりがありながらも日本独自の文様の表現様式は平安時代前期にすでに確立していた可能性が高いことが判明した。
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