研究概要 |
パリのジャック・ドゥーセ文学図書館での資料閲覧・調査により、マラルメが1895年2〜11月に『ルヴュ・ブランシュ』誌上で連載した「ある主題による変奏」の校正刷および関連する幾つかのテクスト、そして詩人が直接・間接に言及しているテクスト書誌を2次資料としてデータベース化した。そのうちまず、「ある主題による変奏」雑誌初出と『ディヴァガシオン』(1897)を関西マラルメ研究会のHPで2006年3月末に公開し、本研究課題の目的のひとつ「ある主題による変奏」批評校訂版完成に向けて修正・調整を行う。校正刷はほぼ完成の状態に仕上がったものだが、そこにはまだ多くの訂正・修正があり、しかもテクスト読解のうえで重要と思われる削除部分も見られる。また、『ディヴァガシオン』所収時、他の時評とはべつに、「逸話、あるいは詩篇」セクションに分類された唯一の「批評詩」である第7回「葛藤」の校正刷が欠けているが、この欠落はおそらくマラルメが雑誌編集長フェネオンの手を介さず印刷所に直接ゲラを送ったため遺失してしまったと推測される。 日本マラルメ研究会第11回総会では「Quand ecrire, c'est agir-マラルメの90年代を読むために」を口頭発表。文芸による、国家の社会的基盤の再編。そのマラルメの実践/夢想を考察するため、「国民とは何か?」の講演で名高いルナンという視点を対置し、90年代初めに頻発したアナーキストの爆弾テロののちにも、くり返し「書くこと」を称揚し、そのような「行動」を孤独に続ける詩人の姿勢を論じた。現在、第3回「カトリシスム」を、同時代の言説空間、すなわちユイスマンスの『出発』刊行によって沸き起こった議論やライシテlaiciteの問題圏のなかに置いて、読み直しを進めている。「回心」「宗教」を描く『出発』をネガに、マラルメは「公の場」に自らの夢想を現像させるのである。
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