昨年度収集した資料の中でも特に注目したのが、当時のイギリス海運事業を取り囲んでいた相容れない二通りの言説--(1)イギリス人船員の雇用を称揚しつつ、帆船の伝統を縦糸としたイギリス人種の過去から未来への切れ目ない継続・発展を強調するもの、(2)イギリス人船員の堕落を指摘し、それに代わる外国人船員の積極的な雇用を推奨するもの--の存在であった。外国人でありながらイギリスの帆船乗りとなることを選択したコンラッドの言語が、何らかの形で上記(1)(2)の言説と関わっている可能性が高い。 そうした前提のもとコンラッドの伝記作品を中心にテクスト分析を行ったところ、自らをイギリス帆船の伝統と恣意的に重ね合わせようとするレトリックが、上記(1)のようなゼノフォビア的言説を遮蔽する形でテクスト中に内包されていることがわかった。さらに分析を進めると、イギリスという異なる系譜に自らを接こうとする姿勢が、ダーウィニズム的な接ぎ木の理論--接ぎ木が必ずしも同種の植物同士で成立せず、しばしば異種の植物同士で成功するというもの--と密接に呼応するものであることが明らかになった。注意しなければならないが、本来ダーウィニズムとは、社会ダーウィニズムの楽観主義とは相容れず、進化のプロセスにおける分断・断絶を容認するものである。そうした無目的論的なダーウィニズムの中核要素が、コンラッドをして未来の汽船時代への継続を断念させた((2)のような言説を無批判に受け入れることを放棄させた)ものである可能性が見いだされた。そしてこれらの議論をもう一度俯瞰してみると、そこには帆船の船員としてイギリスに帰化したコンラッドの生が、ダーウィニズムという当時の最先端科学とオーバーラップし、初期モダニズムと謳われる独特のテクスト言語を生みだしている様子が見えてくる。こうした道筋は従来の研究では見いだされことのないものであり、その点に当研究の最大の功績が認められるだろう。 今後の研究の発展としては、外国人としてのコンラッドの意識が、19世紀末に国内外で頻発していたテロリズムにおける外国人犯罪者の問題とどのようにリンクしていたかに関心を抱いている。
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