ドキュメンタリー映画再評価の現況から、文学においてノン・フィクションの分野がどのように探求されてきたかを展望している。はたして純粋に客観的に事実を描くことは可能であるのか。最新の米国TVバラエティ番組に目を向けるならば、「リアリティTV」と称されるノン・フィクションのフィクション化か極度に進んだ実例を目にすることができる。裁判やデートなどタレントではない一般視聴者の私生活にカメラを向ける行為までもがフィクションの誘惑から免れることがもはやできない。向けられたカメラを一般視聴者が意識した瞬間に、あるいはメディアを媒介にした瞬間に、純粋なノン・フィクションという営為はすでに成立しえない。また、虚構として描くことによりリアリティがもたらされ、ノン・フィクションやドキュメンタリーが虚構性を内包せざるをえなくなる。この「リアリティTV」時代にフィクションとノン。フィクションはどのように交差・融合、あるいは回避しえるのか。平成18年度は英米文化学会での学会発表および論文発表(「『ノン・フィクション。ノヴェル』再考」)、2007 Annual SW/TX Popular/American Culture Association Meeting での学会発表("The Possibility of Post Documentary Style: The Meeting of Documentary and Fiction in theEra of Reality TV"、2007年2月15日、於。米国アルバカーキ)をけじめ、成果の一部をまとめることができた。ニュー・ジャーナリズム以降、現在のドキュメンタリー再評価に至るまでの時代を概観しつつ、映像・文学表現を含む新しい表現の可能性についての分析を引き続き継続していく。
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