教育目的からなされた学校文法という文法研究の特質については、教科書をめぐっての教育思想史的背景や教育機関でのカリキュラムのみならず、当時の中心的な文法学説の影響、さらには文部省の国語施策との関係といった観点から広く捉えることで、逆に、なぜ今日に至るまで多くの問題がはらむ学校文法が温存されているのかという点が顕在化すると考えられる。本研究では今日「学校文法=橋本文法」という図式で思考停止がなされている、学校文法そのものの成立を徹底的に調査する必要があるという問題提起から、国語教育史的枠組みとは異なった観点として、国語施策から見た学校文法成立史についての考察を行った。 本年度は、明治・大正期文語文法教科書の文献学的史料調査として、学制が頒布された明治5年から大正15年までの間で刊行・使用された文語文法教科書について、教授項目や文法学説の精査を通して、時系列的に分析を行った。具体的には、明治後期になり大量に刊行された文法教科書群の学説別・教育機関別の系統的分類を行うべく、旧師範学校系大学(広島大学、筑波大学)、文部科学省(文化庁国語課)、国立国語研究所、国立公文書館等所蔵文献の調査を実施した。 また、学校国文法成立史の一部として、従来あまり省みられることのなかった明治期刊行の山田孝雄の文法教科書『中等文法教科書』に対する概略の紹介と、その内容についての分析を行った。具体的な内容としては、学校文法における副助詞といった助詞の下位分類などにおいて山田の文法教科書の影響が見られることが示された。
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