17年度は、宣教師が具体的にどのような日本語教師を得て、どのように日本語を学習していったかについて解明するため、一つの事例を発見した。アメリカン・ボード宣教師のH.B.ニューエルの直筆の伝記を発掘し、主史料とした。そのほか、それぞれの日本人教師の経歴を明らかにするために、同志社関係史料、教会文書、新聞記事などを使用した。 ニューエルは、1887年に日本に来日し、新潟、松山などで伝道活動をした。彼は学校で日本語を学んだことがない宣教師であったが、来日後、38年間に10名の日本人から日本語を学び続けた。本研究では、ニューエルの足取りを辿りながら、10名の宣教師の履歴と詳細に分析し、ニューエルの日本語教師のリクルートのあり方と日本語教師の人物像を明らかにした。 本研究で実証されたことは、第一に、10名の日本語教師たちがほぼ同志社で学んだ人物であったことである。ニューエルは同志社で学んだ者、もしくは、同志社へ送る者を日本語教師とした。ニューエルの日本語教師は、アメリカンボードならびに組合教会の教派のなかで生きた人物であった。 第二に、ニューエルの日本語教師は伝道者としても傑出した人材であった。10名のうち、5名は按手礼を受け、後に牧師となった。ニューエルの日本語教師の獲得は、組合教会派の伝道師養成にもつながっていた。 第三に、日本語教師はいずれも近代の日本語教育制度で学んだ経歴の持ち主であり、教師の経験を有していた。また素養として仏教や漢学も獲得していた。 第四に、ニューエルは平均すると一人の教師を二年から三年間ほど雇っていた。日本語教師たちは、どの人物も日本語教師だけをその後も続けておらず、伝道師、出版事業、出版伝道、社会事業などを通じて、日本におけるキリスト教思想の普及に尽力した人物であった。
|