平成18年度は、童子についての文字資料に翻刻されていないものが多いので、叡山文庫や東北大学付属図書館において『稚児灌頂私記』と『童舞抄』の史料調査を行なった。その調査をもとに論文「寺院社会における僧侶と稚児」や「『福富草紙』(上巻)注釈」を執筆した。 「寺院社会における僧侶と稚児」では、寺院社会の中における僧侶と稚児の関係について論じた。そもそも『往生要集』では、僧侶は稚児と性的関係を持ってはいけないと規定されている。そこには、もしも稚児と性的関係を持てば地獄に堕ちると書かれているのである。本稿では、『往生要集』の記述にもかかわらず僧侶による男色が盛んに行なわれた実態について論じ、なぜそのようなことになったのか、ということについて考察した。 また、中世の童子について研究する上では、寺院社会における稚児の研究が欠かせない。そこで、寺院社会の稚児がしばしば携わっていた舞楽についての研究を進めた。その研究成果の一部は、論文「中世における内教坊の存続」を執筆し、日本歴史学会が編集している『日本歴史』に投稿中である。先行研究では、内教坊は平安時代末期に衰退したとされてきた。それに対して本論文では、古代から舞楽の音楽組織の中心であった内教坊が、実は鎌倉時代前期までは衰退せずに節会などで重要な役割を担っていたことを指摘した。さらに本稿では、内教坊が近世の史料にも確認できることを明らかにした。また、童舞の楽曲である、春鶯囀や陵王などの史料調査も行なった。
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