本研究の目的は慶長の役における諸大名の軍事行動を解明することであり、本年度はとくに慶長2年8月の全州会議で【右軍】【中軍】に編成されることになった諸大名に関する史料の調査・分析をした。年度当初にたてた研究実施計画にもとづいて5月にデジタルカメラと関連消耗品を購入し、史料調査の体制を整え、やはり研究実施計画にもとづいて以下のような史料調査等を実施した。 6月・12月・翌年1月に東京大学史料編纂所においておもに【右軍】鍋島氏や【中軍】安芸毛利氏に関する史料を閲覧・筆写した。後者に関しては前記6月の調査をふまえて、11月に山口県文館において関連史料をデジタルカメラによって撮影した。これら史料の調査およびその分析と補完関係にある朝鮮出兵関係図書・日本中近世政治史関係図書も随時、精力的に蒐集した。 こうした研究によって、全州会議にも反映される部隊編成に関する在陣諸将の決定権を慶長の役開始直後から秀吉が認めていた事実、従来は講和休戦期に一時帰国していたとされてきた鍋島直茂がじつは慶長の役当初の子息勝茂の渡海まで朝鮮在陣を継続していた事実、また再渡海した直茂が勝茂とともに全州会議の決定どおり【右軍】として忠清道錦山・懐徳を侵攻した事実などが明らかとなった。 また、上記調査の過程で、18年度の対象となる【左軍】の宇喜多氏・蜂須賀氏、19年度の対象となる[水軍]の伊予加藤氏・藤堂氏、これらに関する諸史料にも数点接することができた。 なお、こうした成果の発表は年度内にはしえなかったものの、鍋島氏に関しては「朝鮮出兵における鍋島直茂の一時帰国について」(仮題)および「慶長の役における鍋島氏の動向」(仮題)の2論文を投稿する準備がほぼ完了している。
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