本研究の目的は慶長の役における諸大名の軍事行動を解明することであり、本年度はとくに慶長2年8月の全州会議の決定で【左軍】に編成されることになった諸大名(蜂須賀氏・生駒氏・島津氏・宇喜多氏など)およびこれと連携していた[水軍]に関する史料の調査・分析をした。具体的には研究実施計画にそって以下のような史料調査等を実施した。 7月に東京大学史料編纂所において主に島津氏・蜂須賀氏に関する史料を閲覧・筆写した。蜂須賀氏に関してはこの7月調査をふまえて、10月に徳島市立徳島城博物館において蜂須賀家政書状の原本などを撮影した。また、12月には佐賀県立名護屋城博物館において生駒氏に関する秀吉朱印状の原本をはじめ朝鮮出兵にかかわる重要な文書を撮影した。これら史料の調査・分析と補完関係にある朝鮮出兵関係図書・日本中近世政治史関係図書も随時、精力的に蒐集した。 こうした研究によって、秀吉は四国の諸大名を「四国衆」なる集団として認識して、これにもとづく部隊編成を構想していたものの、実際には蜂須賀・生駒の両氏は【左軍】に、長宗我部・池田の両氏は【右軍】に、藤堂・加藤・来島の三氏は[水軍]に、それぞれ編成されていた事実や、蜂須賀・生駒のユニットの存在などが明らかになった。かかる成果の一部は「慶長の役における四国衆について」として口頭報告した(地方史研究協議会高松大会高知例会・高知海南史学会12月例会の合同)。また、日本学術振興会の平成18年度「ひらめき☆ときめきサイエンス〜ようこそ大学の研究室へ〜KAKENHI(研究成果の社会還元・普及事業)」に選定された高校生向けのプログラム「土佐の大名長宗我部氏も朝鮮に渡っていた」で今年度までの成果をもとに講演し、報告書も発行した。なお、前年度の研究実績報告書で予告した【右軍】鍋島氏に関する論文2編も次頁のとおり発表しえた。
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