本年は台湾総督府公文書と朝鮮総督府公文書の資料調査を中心に行った。台湾の国史館台湾文献館での資料調査により、1913年に発覚した羅福星事件に関する史料調査を進めた。韓国の政府記録保存書では、1910年に起きた寺内総督暗殺陰謀事件(105人事件)に関する史料調査を進めた。両事件とも日本の支配に対する抵抗運動であり、近い時期に起こっている。これらの事件は、事件そのものは日本支配を転覆させるほどの力がなかったにもかかわらず、日本側は脅威を逆手にとって強圧的な支配構造の確立に利用した。内地でも1910年に大逆事件が起こっているが、これらはすべて支配構造の強化という点で共通している。三者の事件の処理過程を分析することにより、大日本帝国が帝国内の支配力を確立しようとしたことを分析することができた。 上記のような大日本帝国の構想に対し、現地官僚として支配に当たっていた石塚英蔵がどのように見ていたのかについても考察した。1910年頃の石塚は韓国併合の準備に当たっており、朝鮮の社会を大日本帝国内に組み入れるための方法を思案していた。彼と寺内統監との書翰や、内地の高級官僚である内閣書記官長の柴田家門との書翰を分析することにより、石塚の植民地統治観を探った。これらの分析から石塚の植民地統治観には旧慣の重視があったことを見出すことができた。 成果の一部は、2005年度日本台湾学会での学会発表、および国際日本文化研究センターの松田利彦主催「日本の朝鮮・台湾支配と植民地官僚」研究会において発表した。
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