「日本におけるイギリス領事裁判制度 -枢密院令の発展と上海高等法院判事ホーンビー」(『歴史の理論と教育』第126・127号合併号)を発表した。その中で、イギリスの領事裁判は枢密院令によって規定されているものではあるが、この枢密院令が試行錯誤の中で作成・改正を繰り返した過程を明らかにした。とくに他国へも大きな影響を与えた1865年令は、当時トルコの領事裁判所を指導していたホーンビーと法務省のライリーによって作成されたものであるが、実施直後から改正が検討され始めるような不十分なものであった。ホーンビーが理想として考えた改正案は成立することはなかったが、日本関係については、派遣代理判事ハネンを赴任させるなど一定の成果が見られた。ホーンビー引退後は、ライリーによって神奈川の日本法院が設置され、日本法院に一定度の権限が譲渡された。
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