1930年代の日本「帝国」の膨張とそれに伴う植民地支配様式の転換という問題が、日本「内地」の帝国意識のあり方と、どのように影響し合うのかを、植民地台湾、なかでも特に台湾先住民をめぐる諸動向に焦点をあてて考察するという目的を達成するため、本年度は、次の2つの観点から分析を行った。 1、1930年代前半の台湾先住民政策の「転換」が持つ、社会・政治的な意味について、主に台湾総督府発行の行政文書を中心に分析・考察を行った。そこから1930年代前半から先住民政策の中心となる、日常生活の細部にわたる「生活改善」政策は、直接的な「暴力」の行使による「服従」政策の事後に行われたことによって、規律・訓練という間接的な「暴力」として機能したという見通しを得た。 2、1920年代から日本「内地」において本格化する国立公園設置の動きが、1930年代前半に台湾に移入され展開される際、どのような影響を台湾先住民を取り巻く状況や、先住民政策に与えたのかを、特に当該期において「国立公園の父」と呼ばれた田村剛の発言や動きに注目して分析・考察した。そこから(1)台湾での国立公園の多くが、台湾先住民の居住地域に重なる形で構想されたため、先住民の法的な位置が議論の対象となり、法の適応範囲外の存在という位置づけが確認されたこと。(2)台湾先住民の存在を、国立公園に趣きを添える「清景」、つまり「風景」の一部として捉える田村剛の思考は、先住民の「観光資源化」という動向と、呼応し合うものであったこと。以上の2点を、国内外で収集した資料を通じて具体的に解明した。 なお、これらの研究成果は、1については国際シンポジウム「『殖民時期現代化的真相』論壇」にて、2については2005年度社会思想史学会にて、それぞれ発表した。
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