本研究の目的は、「長崎旧記類」(以下「旧記類」)の調査・分析を通じて、近世の異文化認識の解明を行なうことである。為政者側ではなく民衆の視点から記載された「旧記類」の異文化情報の成立・流布を確認することは、今後の対外認識研究で重要な論点となる。今年度は、その基礎研究にあたる史実の物語化の解明を行なった。この研究成果は、一部、科研費基盤研究(B)「東アジア海域史研究における史料の発掘と再解釈」(課題番号:17320093)に研究協力者として寄稿し、またおもな成果を現在『歴史評論』に投稿・審査中である。以下、1〜3に今年度の研究内容をあげる。 1キリシタン伝承の地の調査・資料収集を精力的に行なった。資料の整理・翻刻を行ない、異国情報を掲載するものを精読した。その結果、広く漂流記も視野に入れて考察を行なう必要が出てきた。 2「旧記類」に及ぼした影響を考え、寛永21(1644)年に起きた韃靼漂流事件に焦点を当て、口書『韃靼漂流記』と、その史実を物語化した小説『異国旅すゞり』を取りあげ、その内容を比較分析した。史実がどう物語化されるのか、当時の民衆の意識はどのようなものであったかを分析し、考察を行なった。 3分析の結果、以下め(1)〜(3)点が明らかになった。 (1)『異国旅すゞり』は、従来『韃靼漂流記』の最初の刊本とされてきた『朝鮮物語』よりも早い正徳〜享保年間の成立で、これまでの研究史上では看過されてきた存在である。 (2)物語化の過程で、現実味のある会話の増補・時間軸の修正・具体的な体験談が増補される。 (3)『異国旅すゞり』には、為政者側が意識した武威を誇り、ナショナリズムの台頭を意識させるような記述はなく、町人が御伽噺感覚で、異国への友好・憧憬の意識を抱いていたことが示されている。
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