近代日本の地域社会がその出身者にして戦死を遂げた者を独自の「軍神」として顕彰した事例は各地に存在する。本研究は、そうした「軍神」像が国家のための勇敢な死、そして捕虜となることの禁忌化を社会の末端レベルで推し進めていったとの仮説に基づき、各地域の事例を収集して精緻化し、理論化へとつなげることを目標とする。 本年度は、京都、名古屋などで上記の課題に関連する軍人墓地、史跡、銅像跡などの調査を行った。また、各地の図書館などで自治体史、戦後刊行された各種の部隊史などの資料収集を行い、ある部隊の将校が火砲を敵に奪われたことを恥じ、自殺同然に戦死したため、戦後に至っても「軍神」として顕彰されているという事例を発見することができた。この点は、戦前と戦後における軍人たちの「価値観」や戦死者追悼の論理の連続性を考えるうえで興味深いと考える。同様の事例はほかにも存在する可能性があるので、継続して調査を行いたい。 また、中華人民共和国東北部に存在する、いわゆる烈士記念館の調査を行い、銅像が建設されたり、戦争博物館の有力な展示物とされるなど、戦前の日本ときわめてよく似た顕彰がなされている事例を多数発見することができた。これらの事例は、東アジアにおける戦死者追悼の方法論を問ううえでの有効な事例たりうるであろう。
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