1.大英博物館での調査 (1)ジャウィ(マレー語)で書かれたキターブが予想以上に多く保管されていた。しかし、多くがまだコンピューター入力されていないため、書庫での調査が必要であることがわかった。 (2)アラブ問題政府顧問スヌック・フルフローニェの協力者であるサイード・ウスマンが執筆・出版したキターブのコレクションを発見した。ウスマンは、19世紀後半、バタビアで、アラビア語のキターブを、より一般向けにマレー語に翻訳・編集し、出版していた。ウスマンが選び・翻訳したアラビア語のテキストから、彼が民衆に伝えようとしたイスラーム思想の特徴がわかる。彼は、民衆が「正しいムスリム」になるように指導することによって、オランダ領東インド内の秩序を保とうとしていた。 (3)ボンベイ出版のジャウィのタフシール(コーラン解説)を発見した。現地語のタフシールは種類が少ないため、非常に珍しい。また、タフシールの完全版であるため、非常にページ数が多い。装丁がしっかりした、このような本が出版可能であったほど、ボンベイではジャウィおよびペゴンのキターブの印刷がさかんにおこなわれていたことがわかった。 2.ライデン大学での調査 (1)KITLVにキターブ・コレクションがあることは有名であるが、大学附属図書館にも、古い年代のキターブが数多くコレクションされていることがわかった。 (2)ボンベイ出版だけでなく、中東で出版されたペゴン(アラビア文字ジャワ語)のキターブを発見。ジャウィだけでなく、ペゴンも中東でかつて出版されたことがあることがわかった。ペゴンの代表的著者ソレ・ダラット以外に、彼同様スマラン出身の執筆者の本が中東で出版されていた。ジャワ語本需要が中東でも、マレー語同様に存在していたことが明白になった。
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