ヨーロッパにおける活版印刷術の成立を契機として制作された15世紀の初期刊本(インキュナブラ)は、少なくとも2万7千冊に及んだとされる。しかし、このような活発な書籍生産の背景には修道院の写字室だけでなく、世俗の筆写工房においても大量の写本が制作されていた事実を忘れてはならない。これは刊本に一種のフォーマットを提供するとともに、さまざまなジャンルの潜在的「読者」の需要を開拓したのである。本研究は、当時もっとも盛んな写本制作を行っていたエルザス地方のディーボルト・ラウバー筆写工房にとくに注目し、そこでの写本制作の歴史的・社会的機能および背景を解明しつつ、写本=刊本間の緊張関係の中でヨーロッパ近世の「知」がいかにあったかをあきらかにする。 本年度はまずドイツ・ゲッティンゲン、フライブルク、シュトゥットガルト、ハイデルベルク各大学にてラウバー写本の調査を行い、とくに状態の良好な写本については全ページを実見して、デジタルカメラにより撮影した。またハイデルベルク大学美術史研究所のSaurma教授(ヨーロッパ学・文化史研究センター長)の協力・助言をえて研究を精緻化し、今後の調査に必要なツールの提供を受けた。 ハーゲナウ城を拠点とするラウバー工房の写本制作は、当時一般的な受注生産ではなく、在庫生産の方式を採り、徹底した簡略・合理化を特徴とした。描画の様式および装丁の特徴から判断するに、およそ5名の筆写係と16名の挿画係をグループ別に編成し、ときに「アウトソーシング」も行われた。テクストは主に民衆語(エルザス方言)によって筆写されており、販路も南ドイツを中心に広範囲に及んでいる。ここから当時の識字層の増大と、貴族(あるいは貴族的価値観をもつ人々)の「読書サークル」の登場を推測できる。研究成果の一部は活字化して公表し、研究会において口頭報告を行った。
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