活版印刷術の成立した15世紀のヨーロッパでは、これに伴う情報の伝達や共有によって読者層・教養層が飛躍的に拡大するとともに、新たな「知」の交流が始まる。知識人と広汎な読者層との情報交換は時間的・空間的な認識を広げ、ついには世界認識そのものを変革するにいたった。このようなメディア革新の最初に位置づけられるのがエルザスのディーボルト・ラウバー筆写工房である。同工房は写本を分業体制により量産して、その価値を維持しまた高めながら、在地貴族の親族ネットワークをつうじて、チューリヒ、コンスタンツ、ヴュルツブルク、ニュルンベルク、オーストリア、そしてライン川下流域にまでおよぶ広い範囲に読者を獲得した。 本研究では、のべ3カ月半にわたる実地調査によって、同工房にかかる現存する写本のほぼ完全なリストを作成することができた。それらの写本のテクストやインク、用紙、装丁、挿画などの丹念な分析を行うことで、工房の写本にはこれまで知られていなかった3つの様式区分が存在すること、そしてこれはそれぞれ対象となる読者層に対応すること、また写本生産の初期の動因として、在地貴族のフェーデ行為があったことなどを明らかにした。とくにインキュナブラとの相違点として、所有者がおもに貴族の女性であったことを挙げることができるが、写本を制作し読書集会において披露することで女性もフェーデに参加したのである。これは初期の書物の機能として重要な発見であった。 また当初から様式が統一され、貴族の女性の財産となったことで、写本は量産品ながらいわばブランド的価値を帯びた。これにより、安価な代用品にすぎなかった印刷本の欠陥が補われ、書物の普及に拍車をかけた。したがって近世以降の書物メディアの基本構造は、ラウバー工房により考案されたものだといえる。以上の研究の成果は学会で報告し、図書の一章として出版した。
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