本年度は、昨年度に引き続きフランク時代の国王文書を内容、形式、図像学的な特徴に基づいて分類する作業を進めた。とりわけ、カロリング朝初期(751年から9世紀初頭まで)の国王文書のデータを整理した。 また、フランク時代の前半をなすメロヴィング朝(481年から751年)の国王文書の検討を通じて得られた所見を、活字および口頭で発表した。雑誌論文「メロヴィング朝の国王証書-統治と文書使用」(『世界史の研究』208号、2006年8月)は、メロヴィング国王文書の伝来、内容、形式についてまとめたものであり、とりわけ滅失文書(現在まで伝わっていないが、作成されたことが証明される文書)の種類を調査したものである。 この論文では、伝来する文書では知られていないが、滅失文書を通じて知られる種類の国王文書を詳細に検討する必要を説いたが、この観点から進めた研究成果の一部を、平成19年3月29日に北海道大学法学部において、科学研究費基盤(S)「<法のクレオール>と主体的法形成の研究」(代表者:長谷川晃)主催の研究会で報告する機会を得た。タイトルは、「メロヴィング朝の国王文書を分類し蔵す-メロヴィング王権の性格の解明を目指して」である。メロヴィング朝の国王が、王国住民の法行為を許可したり確認したりしていることを記録する国王文書は、伝来文書としてはほとんど残っていないが、実際には数多く作成されていたことが証明される。これらの文書の検討に基づいて、メロヴィング王権が一方でローマ帝国末期の都市参事会が果たしていた役割を継承しつつも、他方で法の源泉としてローマ皇帝の機能をも継承したことを明らかにした。
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