本研究は18-19世紀の黒海沿岸地帯における国際商業と外交関係との統一的把握を課題としており、昨年度は18世紀中葉のエリザヴェータ女帝時代におけるロシア海外貿易の動向とヨーロッパ国際政治の展開との動態的連関を分析したことを受け、本年度は18世紀第3四半期のエカチェリーナ二世時代前期における貿易構造・外交政策に関して以下の知見を得た。 第一に貿易構造については、一方ではイギリス産業革命の始動に伴う原料需要の高騰と、ロシア絶対主義の確立に伴う貴族勤務の縮小=農場経営の拡大によって、バルト海経由の原料輸出が発展した反面、他方ではイギリス工業人口の増大に伴う食糧需要の上昇と、ロシア南部地帯の開発に伴う内地植民の展開=小麦生産の成長によって、黒海・地中海経由の穀物輸出が始動したことを確認できる。第二に外交関係については、一方ではイギリス歴代内閣による反仏・親露外交の展開と、ロシア外務官僚N・I・パーニンによる北方体制の構築によって、英露両国の友好関係が深化する反面、他方ではフランス外務官僚による反英・親土外交の展開と、ロシア通商官僚G・N・テプロフによる黒海貿易の志向によって、露土両国の外交関係が悪化したことを確認できる。第三に通商条約については、一方ではイギリスとの経済的なバルト海貿易の展開・政治的な北方体制の形成を背景として1766年の英露通商条約が締結された反面、他方では当該条約に伴うイギリスの好意的中立を後盾とした1768-74年の露土戦争・1774年のキュチュク・カイナルジ条約によってオスマン黒海独占の解体とロシア黒海貿易の開始が実現したことを確認できる。 なお以上の成果をまとめた論文の原稿については、現在投稿に向けて準備中である。
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