研究概要 |
1.近世フランスにおいては、王権からの勅書や通達に比べて、頻繁に文書や要請を携え、より積極的に意思の伝達を図ったのは、むしろ都市の側からであった。事実、市参事会は活発な渉外活動を展開し、特使を派遣することによって、都市の要請を伝え、またそれを実現するという交渉能力を確保していた。そしてこの特使を介して、王権側も非公式にその意向や情報を伝えており、特使は両者の間で双方向的に重要な役割を担っていたのである。そこでヨーロッパの商業・経済的中心地であったリヨンを事例として、都市から宮廷に派遣された特使とその活動を検討し、近世初期の都市と王権の合意形成のあり方を明らかにした。 2.ブローデルによれば、前近代において、外国人の存在は都市や国家の繁栄度を計るバロメーターであるとされるが、16世紀のリヨンは人口の3分の2が市壁外出身者で占められており、大市の発展による国際的色彩の強い都市であったことが判明した。多くのよそ者を受け入れるという新しい事態に直面していたリヨンは,他方で住み分けが定着した社会であったとも言われる。こうした中で、外来者はどのようにリヨン社会に入り込んでいったのか、さらに宗教戦争のこの時期、対立は都市の中にどのような地図を描くことができるのか。そこで、住民が居住する街区の中で、リヨン社会は他者性とどのように向かい合ったのかという問題が浮かび上がってくる。本年はこうした問いに答えるための予備作業として、都市タイユ担税額査定のための財産評価額表や住民調査簿等の史料調査・収集を行い、16世紀のリヨンの街区に関する基礎研究を行つた。具体的には、街区別の住み分けの実態とその変化、住民総会における街区代表の位置づけ、街区長の職務と人脈形成、住民調査簿作成の経緯、そして調査簿から判明するよそ者の存在について明らかにした。
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