フランス・ルネサンスの舞台となった宮廷や都市では、政治や経済、文化のさまざまな局面でイタリアの影響があったことが知られている。こうした外国人のフランスへの移住は、どのような特色をもっていたのであろうか。近年、「他者」の受容と排除は、現代世界の動向を反映して、歴史学界でも多くの研究者の関心をひきつけている問題である。フランス東南部の都市リヨンは、15世紀後半に王権から大市開催権を取得すると、人口の3分の2がイタリア諸都市出身者を中心とした外来者で占められるほど、内陸部に位置しながら外に開かれた都市へと成長した。本年度は、西欧の経済的・文化的交流の結節点であったリヨンを事例として、イタリア人のリヨンへの移住と彼らのさまざまな活動を通じて、近世の都市社会と外来者である「他者」との関わりを検討する研究を行った。本研究では、イタリア人とともにもたらされた新しい商業技術や産業、広域的なコミュニケイション網、都市における居住のあり方が明らかになった。たとえば16世紀リヨンの外国人は、いわゆる外国人街を形成することなく、都市中心部に在地の聖俗エリートたちと混在して居住したのである。ルネサシスから宗教戦争という激動の時代を経て、イタリア人はリヨン社会にどう入り込み、在地社会は外来者をどのように受け入れ、またいかなる契機で都市は閉鎖性へと転じていったのか。その実態と歴史的変遷については、共著『共生の人文学』の中で成果を発表した。
|