当時、平成18年度の申請段階では、立石寺に石造文化財の調査を実施する予定であったが、その後、現在の立石寺参道より奥の地区「峰の浦」地区に多数の石塔が存在することが、現地への数度の踏査で発見された。この地区に関してはこれまで本格的な調査はほとんどおこなわれておらず、研究上未知の空間である。 「峰の浦」地区は、現在の立石寺より東に直線距離にして約2キロメートル入る山中にある。麓から30分ほど山道を歩いた山腹に広がる地区である。修行空間と推定される巨大な奇岩がそそり立つ空間や、中世の紀年銘を有する五輪塔が風穴に多数存在する場所があり、また礎石などが残ることなどから何らかの堂宇が存在していたことが判明した。 この地区は、その環境、立地などから、中世の霊場としての様相を色濃く持ち、現在立石寺といわれている地区よりその成立が遡ると推定される。いわば立石寺の前身となる重要な空間であろう。現在の立石寺になる以前はこの「峰の浦」地区がむしろ中心的区間であったと想像され、その意義は非常に重い。 よって、この地区の調査を有意義に進めるため、同様の年代のやぐらを多数有する鎌倉で現地踏査し、関係する資料を収集した。また、こうした中近世の信仰調査に優れた千葉県の国立歴史民族博物館へ数回訪問し、資料収集や研究者からのアドバイスを受けた。 こうした調査の結果、やはり「峰の浦」地区が立石寺の形成に係わる重要な空間であること、それが近世ではなく中世に遡りそうであること、関連する堂宇などが現地には存在し、現在の立石寺と直線距離で2キロメートル以上はなれた場所ながら、もともとの立石寺はこちらがメインであったのではないかという事実が徐々に明らかになってきた。この成果をふまえて、平成19年度は、当初予定していた立石寺とその奥の院参道の近世石塔ではなく、峰の浦地区の中世石塔群とその周辺に関わる調査を継続、発展していきたい。
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