研究を開始する当初に設定した目的および実施計画に則り、報告書および実際の考古遺物に基づくデータの収集を行った。 その結果得られた知見は以下のようなものである。 まず報告書の精査、およびデータ化によって、研究の対象とする窯道具の時間的・空間的広がりを概括的に把握することができるようになった。とくに注目できるのは愛知県を中心とする成果である。当該地では8世紀までは須恵器生産を主体としているが、9世紀に入ると緑釉陶器・灰釉陶器という新たな焼き物生産が導入され、徐々に生産の主体が移ってゆく。その過程で、窯道具はまず8世紀後半段階に出現し、9世紀になって新たな焼き物が導入されると、これに伴って新たな窯道具が導入される。その様相を精査すると、緑釉陶器生産に使用される窯道具は奈良三彩段階での系譜を引く新しいものであるが、一方灰釉陶器生産には8世紀後半段階に見られた須恵器生産に伴うもの、そして9世紀になって導入された緑釉陶器に伴うものがそれぞれ咀嚼され、導入される。緑釉陶器・灰釉陶器の製品そのものに対する分析からは、緑釉陶器が先行して導入され、これに須恵器生産体制が触発される形で灰釉陶器生産が開始するというモデルが呈示できる。上記の窯道具の発生過程は、まさにこの見解を生産技術の面から補強するものであろう。 このことは、同じく9世紀初頭に緑釉陶器の生産を開始する平安京周辺の様相と比較した時により鮮明となる。すなわち、平安京周辺では8世紀後半段階の東海地方に見られた窯道具の開発など、独自の要素はみられず、緑釉陶器生産の開始に伴って突如として窯道具が出現する。 緑釉陶器の生産という共通項を持ちながら、そこに至るまでの両者の対応の違いは、生産体制のあり方の一端を示すものであろう。 上記の見解は、平成18年度に行う他の地方の調査、および総括によって、さらに深化できるものと考える。
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