本研究の目的は、沖縄・読谷村において「地域文化」と米軍の間でいかなる相互作用が展開されてきたのかを実証的に明らかにすることにある。平成18年度は、読谷村における地域文化復興の象徴ともいえる「読谷まつり」に焦点を当てて、現地調査を行った。読谷まつりは、1975年に、沖縄県内初の存立歴史民族資料館会館を記念して初めて開催された。以後、毎年、開催されるようになり、今日に至っている。現在は、11月初旬の2日間にわたって開催されているが、2日間にのべ5500名の出演者が登場し、15万人の人が会場を訪れる大規模なイベントとなっている。読谷まつりの特徴としては、(1)村内の各団体を巻き込んだ村ぐるみの「手作り」の祭り、(2)地域文化をモチーフとした独創的なプログラムを中心とした奉り、という2点が挙げられる。(2)の点に関して補足すれば、独創的なプログラムとしては、具体的に、琉球古典芸能の各流派の壁を越えて300名もの演者が舞台にあがる「赤犬子古典音楽大演奏会」、読谷村出身者とされる歴史的人物・泰期を題材にした創作劇「進貢船」などが挙げられる。また、読谷まつりを通じて、村内で衰退していた伝統芸能が次々に復興してきた点も注目される。 以上のような特徴をもつ読谷まつりの背景には、まるで「自明の存在」のようになってしまった米軍基地からの精神的な自立を目指す文化村づくりという理念があった。先にあげた読谷まつりの特徴は、村行政が米軍に対抗する文化復興運動を村ぐるみで推進しようとしてきた点に由来する。ただし、近年の読谷まつりにおいては、村行政の当初の意図をこえて、地域住民のあいだで、読谷まつりが抱える問題を主題化し、内省する動きが生まれてきてり、こうした動向が読谷まつりの活性化に結びついている。平成19年度は、新たな共同性の組織化の萌芽を含むこのような動向に注目しつつ、研究の成果をまとめたいと考えて居る。
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