国内調査は、いわゆる「塔式墓」とはどのようなものであるかという実態把握のために、東京都雑司ヶ谷霊園、大阪府服部霊園などの都市型墓地の調査を実施した。また、墓標が消滅するという現象との関係から、納骨施設の踏査もおこなった。塔式墓をめぐる習俗のひとつとして、墓石を削る願掛けについても、東京、仙台、愛知、大阪、福岡などで調査を試み、成果の一部を成文化した。本年度も引き続き、鹿児島県徳之島町母間にて、墓地の悉皆調査を特に墓標石材の産地に留意しながらおこなった。当地において墓標に使用された凝灰岩の原産地、鹿児島市、山川町に1も調査に赴き聞き取りなどをおこなった。 台湾では、台北県にて清明節の調査を実施し、新形式を導入した、公共墓地、納骨施設を見学した。これら成果の一部を成文化した。高雄県、台南市在住の墓造営職人への聞き取りも実現した。この際に、戦前・戦後の日式墓がどのような理由により造営されたについての、一定の見解を得ることができた。現状では、日式の塔式墓が採用されるのには、次のような理由が考えられる。火葬の受容、土地の問題。しかし、このような場合には、風水を全く無視することになる。隠れた理由として、台湾本省人にとって日式の墓標を採用することは、外省人に対する密かな抵抗があったのではないかと予測している。 中国調査は、特にキリスト教と塔式墓との関係、現代の公共墓地整備の実態を中心に調査を実施した。調査地は、広東省広州市、梅州市、福建省福州市、厦門市などである。この結果、厦門市コロンス島に所在する、戦前造営されたキリスト教墓標には、極めて日本の塔式墓と類似したものがあることを確認した。また、梅州市嘉応大学客家文化研究所では、調査成果について報告する機会を得た。 また、成果の普及啓蒙活動として、『朝日新聞』2006.8.30付夕刊に「台湾の生活に溶け込む畳・塔式墓歴史的背景探る大切さ」を寄稿した。
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