市民権概念の再検討にあたり、国民国家体系においてはほぼ一体となっていたnationalityとcitizenshipが、切り離されて取り扱われるようになってきたことに注目した。特に日本おいてはナショナリズムの復権が語られながらもそれが必ずしも移民排斥にはつながらず、逆にネイョンとは構成を異にする新しいcitizenshipが市町村などの地方レベルで形成されつつある。しかしこのcitizenshipは社会的権利、市民的権利といった側面では拡充されつつあるものの、政治的権利には結びついておらず、帰化によってネイションの一員となることが、移民の政治的権利獲得の唯一の方法であるが現状である。 ドイツでは、移民を市民に育成するプログラムが連邦レベルで積極的に推し進められ移民の社会的統合に国家が責任を持つことが明らかとなっている。外国人参政権については、ネイショの一員ではない者にも、EU市民権に基づいて地方参政権、欧州議会選挙・被選挙権を認めていることは依然EU域外出身者には認められないながらも、ナショナリティーを政治的権利の必要条件としない況を生んでいる。その一方で、移民排斥の動き自体は、日本に比べて格段に強い。もっぱら規模の差すなわち移民の人数の多寡がその原因ではあるが、ローカル・シティズンシップのあり方を比較したとき、移民グループが出身地ごとに強固な団体を結成していない・できていない日本において、かえって移民内の多様性が、特定の民族グループが自らをホスト社会から隔絶し移民排斥の標的にされるような集団形を防いでいるともいえる。
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