研究概要 |
今年度は,失業の履歴現象に関する近年の理論的モデルと実証研究のサーベイを行うとともに,翌年用いる産業ごとの雇用量や生産性の時系列データの整備を行った。 第一に,理論的モデルをサーベイし,失業期間中の人的資本の劣化を原因とするものと,労働者側の交渉力による過少雇用を原因とする,インサイダー・アウトサイダー理論から派生するものに大別した。前者について理論的な進展は近年みられないが,後者については,労働者側の団体交渉のコミットメント効果に注目したものなどに,交渉の枠組が雇用量に与える影響について新しい知見がある。これらは履歴現象の理論的説明としても応用可能性があり,また実証の要請も高いものと考えられる。なお,賃金調整時点の遅れ(Staggered Wage Setting)に着目した理論モデルは,そのミクロ的基礎付けの難点などから,長らく進展がない。しかし,即時的な賃金改訂が法的に難しい日本で,近年のデフレが労働市場の資源配分を著しく非効率にしたことと符合するともいえ,実証の余地がある。 第二に,履歴現象の実証研究については,問題意識が類似している雇用調整速度の計量分析が蓄積されてきている。とくに,個別企業の財務データを利用した分析では,株主資本と負債の比率といった財務内容や株主・経営者の構成にみられるコーポレート・ガバナンスの態様に応じて,雇用調整速度に有意な差が認められている。具体的には,株主や債権者の交渉力が弱い状態では,競争市場での最適雇用量と比較して雇用量が抑制されることが実証されている。こうした労働者と他のステークホルダーとの関係を,履歴現象の新しい要因として指摘することができる。なお,Lillienが提案した労働市場の部門間移動の指標を用いて,産業別の雇用量や生産性を計量分析した研究が複数ある。ただしその結果は多様であり,詳細なデータを利用した頑健な推定が期待される。
|