内外の書店を通じた文献購入、および現地での資料収集によって、本研究が主な対象としている1910〜40年代(さらにはそこから先)の英国労働党内においてミドル・クラスが置かれていた状況について、新たな知見をいくつか得ることができた。そのうちの主なものだけを挙げると、 1.前年度の研究においても明らかにしたように、1930年代からスタフォード・クリップスに代表される貴族・上流階層出身の知識人が大挙して入党し、影響力を強めるようになった。が、アトリーの下で政権を握った1945年から1951年にかけてはさらに様相が変わり、アンソニー・クロスランドに代表される、テクノクラート的と言ってもよいようなタイプのミドル・クラスが党内に台頭する。彼らの社会主義の政策目標は、産業国有化から、混合経済下でのケインズ主義的財政政策へとシフトした。 2.上記のような状況下でも、前代の労働者階級出身のミドル・クラスであるハーバート・モリソンは内相として国有化政策を推進してゆこうとするが、上のような党内事情から、その政策的重要性は次第に後景に退いてゆき、彼らの影響力も縮小する。 3.時代は大きく下るが、トニー・ブレアが1997年から10年間率いた「新しい労働党(New Labour)」は、社会階層構成的に見れば、「理想主義的」とも言えるそれまでになかった新しいミドル・クラスの覇権によるものであると考えられる。彼らは、初期ブレアの標榜した「社会-主義(social-ism)」に典型的に見られるように、国有化やケインズ主義といった具体的政策よりも、公正・正義といった抽象的理念に訴える傾向が強い。 このように英国労働党内におけるミドル・クラスは、一括りにはできないような多様性を歴代持ちつつも、党内において労働者階級以上に強いヘゲモニーを維持して今日に至っているのであり、決してブレアの「新しい労働党」が史上初めてではなかったのである。
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