1921(大正10)年に組織化された石川県社会事業協会は、雑誌『石川県之社会改良』の創刊号である第1号を1924(大正13)年6月5日に発刊した。その後、雑誌は第17号が発刊された1940(昭和15)年12月25日まで継続した。雑誌は、全17号で、約3000頁におよぶ。 これまで、『石川県之社会改良』全17号を所蔵している機関はなく、東京大学大学院法学政治学研究科附属近代日本法政史料センターに第1号が、大阪府立大学人間社会学部図書室に第3号、第9号、第17号の所蔵が確認できるのみであり、石川県立図書館にも一部が所蔵されていることが確認できた。史資料的価値として、大正後半から昭和初期にかけて当時の国の政策がどのようなかたちで地方で紹介され、展開しようとしたのか、さらには石川県の社会行政がどのように県下に周知徹底しようとしたのかを分析することを可能とするものである。 史資料調査の過程で全17号を蒐集し、それに凡例や目次、解説論文として「雑誌『石川県之社会改良』の概要に関する覚書」を付し、目次一覧と著者別目次一覧の索引機能を加えて3400頁におよぶ史資料として『複写版 石川県之社会改良』(上中下巻)としてまとめることができた。 なお雑誌刊行の牽引役に、石川県社会事業協会幹事の多田一平、石川県社会事業主事の中田邦造、打尾忠治の役割も重要であることが判明した。特に、中田は京都帝国大学および大学院で西田幾多郎に学び、石川県での着任後は社会事業主事として活躍するとともに石川県立図書館長に就任し、1940年3月に東京大学付属図書館司書官へ就任し、1944〜49年に東京都立日比谷図書館長を勤めた人物であることもわかった。 研究実績として『複写版 石川県之社会改良』(上中下巻)と「雑誌『石川県之社会改良』の概要に関する覚書」のみであるが、今後も継続して主要論者の言説を検討したいと考えている。
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