本研究は、戦後日本における普通教育としての技術教育の教育課程に関する歴史的研究の一環をなすものである。本年度は、1958年改定中学校学習指導要領のもとでの日本教職員組合(以下、日教組)及び民間教育研究団体による教育課程の自主編成の取り組みに関して、資料収集及び分析を行った。特に、この時期の代表的な取り組みであった、岩手・技術教育を語る会(以下、語る会)の取り組みを検討した。 資料収集に関しては、前年度の調査結果をふまえて調査を進めたところ、岩手県盛岡市立下橋中学校技術科準備室に、語る会の中心的存在であった阿部司氏の日誌、関連会議の配付資料等が多数所蔵されていることが明らかになった。しかし、それらは未整理に近い状態であったため、2度の出張により、資料の整理・複写を行い、資料収集を行った。 検討の結果に関しては、語る会の取り組みについて、次の2点を指摘しておきたい。第一は、村田泰彦の関与に関して、である。語る会の研究活動に重要な役割を果たしていた村田は、宮原誠一のもとで学んだ教育研究者であり、岩手県立教育研究所の「技術教育の学力研究」は、宮原の論及に示唆を得たものであった。したがって、県教研の取り組みは、技術科のあり方に論及する宮原の姿勢が村田に継承されたものと考えることができた。第二は、語る会の取り組みの研究史上における位置づけに関して、である。語る会の取り組みに関しては、すでに長谷川淳の関与が知られてきたけれども、村田の役割に注目することにより、そこに宮原の影響を看取することができた。語る会の取り組みは、それまでの長谷川、宮原らによる社会的生産における技術を対象とした技術教育を樹立しようとした取り組みが一定程度開花したものと位置づけることができると考えられる。
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