本研究では、オランダ領東インドの二大都市であったスラバヤとバタヴィア(現ジャカルタ)を主な研究対象としている。本年度はスラバヤのオランダ領東インド時代の都市計画図の分析を行った。植民地時代の都市計画図と現在の都市計画図をCADソフト上でスケールを同じにして重ね合わせる作業をすでに修了し、植民地時代の都市計画がどの範囲で行われていたのか、また道路拡張などの具体的計画が現状と照らし合わせてどの程度実施されていたのか、現在引き続き作業を行って検討している。 また、8月にジャカルタ都市計画局で都市計画図の収集を行った。その結果、植民地時代の都市計画図は、測量部門(Subdin Pengukuran)において「ポリゴン地図(5万分の1)」と「基礎地図(1000分の1)」が保存されていることが確認された。後者は縦軸1〜26、横軸A〜Xまであるが、全体で10枚程度の葉が欠損していた。また、同部門での聞き取りによって、旧バタヴィアの都市計画では、統一都市計画法(SVO)以前に、1919年のBBVと1941年のKTVと呼ばれるローカルな都市計画法が施行されていることが分かった。 また、3月に旧宗主国オランダにおいてオランダ領東インドの都市計画思潮に関する関連文献の収集を行った。収集した主な資料とその所蔵先は以下のようである。 ・スラバヤの都市計画法令について「スラバヤ新聞」(ハーグ王立文書館) ・都市計画学会雑誌「地方利益」(レイデン大学王立言語地理民俗学研究所)
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