1.1814年の農業調査、1866年農業アンケート、ラベルニュなどの代表的な同時代の文献、さらには、オート=アルプ県にて実施した現地調査の際に収集した史料や文献によって、当地の農業生産の実態、農村社会の様相を明らかにした。 2.他国に比べれば緩慢であったといわれるフランス資本主義の発展の中で、オート=アルプ県をはじめとする南部山岳地においては農業生産、農村社会の実情は伝統的な性格を色濃く残すものであった。とりわけ北部に見られるような借地農による大経営は発達せず、比較的小規模な自作経営が優勢であり、粗放的な放牧経営などが行われていた。とはいえ、農業技術の進歩がまったく見られなかったわけではなく、二圃制から三圃制への転換や栽培牧草地の普及、灌漑施設の拡大、堤防建設による農地の保全、拡大などの動きも見られた。 3.農村社会の面でも、共有地の管理や灌漑施設の管理、堤防の建設維持などにおいて、国家による制度や政策の影響を受けながらも、村落やそれに基盤を持つ土地改良組合などの組織によって活動が行われていた。もちろんこうした資源管理や資源開発において、常に事がスムーズに進んで行ったわけではなく、場合によっては軋轢や紛争が引き起こされた。オート=アルプ県のエグリエの堤防組合の史料からも、堤防建設をめぐる摩擦や賦課金に関する争いなどが起こっていることがわかる.本格的な分析は次年度以降に回さざるを得なかったが、資本主義の発達に影響を受けつつ、緩やかにとはいえ、摩擦や軋轢の中で変化していくフランス農村において、それを構成する家が重要な役割を果たしており、そうしたものの存続において相続戦略が重要な意味を持っていたであろうことが、現地で収集した住民調査や土地台帳などの1次史料や同時代の農村社会に関する著作の分析などから窺うことができた。
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