すべての哺乳類において、親による子育て(哺乳、仔の安全や衛生を守るなどの母性的養育行動)は子の生存にとって不可欠である。したがって親の脳内には養育本能を司る神経メカニズムが備わっており、その基本的な部分はすべての哺乳類で共通であると考えられる。そこで我々は、人間の養育行動とその病理の理解を深める目的で、マウスをモデル動物として養育行動の神経メカニズムを解析している。本研究では、養育しているマウスとしていないマウスの脳内養育行動中枢(内側視索前野、MPOA)を単離し、DNAマイクロアレイ法による網羅的遺伝子発現解析を行うことにより、養育している時だけ発現が上昇する遺伝子群を探索した。見出された遺伝子群はすべて、細胞内シグナル伝達系の一つであるERK経路に関連していた。実際にマウスが養育を開始すると15分でERKが活性化される。また、ERK活性化を特異的阻害剤SL327によって抑制すると、養育未経験なマウスは養育行動を学習できなくなった。しかし、すでに養育を十分習得した母マウスの養育行動にはSL327は影響を与えなかった。さらに、転写因子FosBの遺伝子破壊(KO)マウスでは、養育行動が低下していることが知られているが、このFosBKOマウスでは、MPOAにおけるSPRY1およびRadの発現量が低下していた。SPRY1とRadはそれぞれ、ERK活性化およびカルシウム流入を介した神経細胞活動に対しフィードバック抑制を行う。さらにRadは神経突起の伸長などの形態変化を誘導する機能も持つ。以上の結果より、仔マウスからの知覚刺激により親マウスの脳のMPOAニューロンにおいてERK活性化が起こり、cFos/FosB転写システムが活性化されてSPRY1とRadを誘導し、これらの分子によってニューロンの活性制御と形態変化が起こることが、養育行動の獲得に重要であると考えられた(投稿中)。
|