本研究では中国書院の教育思想を集約する白鹿洞書院に掲げる「白鹿洞書院掲示」(以下「掲示」という)が藩校にどのように使われたかを中心に分析した。先行研究では(関山邦宏1977)「掲示」の使用は34校の藩校にあったとしたが、『日本教育史資料』(1890)を調べた結果、それより多く43校が「掲示」を使用したことが分かった。以下の分類によってその使用状況を明らかにした。 「教育」(29校):学則としてのみならず教育内容としても応用していることが分かった。「掲示」は他の儒家の典籍と共に掲げて学則として使用する場合もある。それは中国書院の「二規並行」に近いと推測する。「掲示」は一般的に藩校の講堂に掲げられるが、津山藩学問所では「掲示」が武術場に張り出された。それは「文武両道」の教育方針と対応して、「藩校」における「掲示」の変容だと考える。教育内容としての「掲示」は一般的に初級の教育活動に使われている。それは「掲示」が平易で、入学の生徒にとって受け入れられやすいのだと考えられる。 「祭祀」(20校):開校式、謝恩式などのような教員、生徒が礼服を着て出席する儀式や、祭儀を伴う儀式の両方に用いられる。特に儒教にとって盛大な釈奠式は、中国のように春秋上丁の日に行われる以外に、開校日に行われる場合もある。また、祭儀の後で「掲示」を講釈する恒例のある藩校があった。 「蔵書類」(12校):蔵書や出版が明記されている49校の藩校で12校は「掲示」を印字したことがある。
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