研究課題/領域番号 |
17H02311
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研究機関 | 実践女子大学 |
研究代表者 |
佐藤 悟 実践女子大学, 文学部, 教授 (50178729)
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研究分担者 |
服部 仁 同朋大学, 文学部, 教授(移行) (20103153)
上野 英子 実践女子大学, 文学部, 教授 (60205573)
松原 哲子 実践女子大学, 研究推進機構, 研究員 (70796391)
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研究期間 (年度) |
2017-04-01 – 2021-03-31
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キーワード | 葛飾北斎 / 角丸屋甚助 / 西村屋与八 / 柳亭種彦 / 絵本 / 読本 / 合巻 / 彩色摺禁止令 |
研究実績の概要 |
新型コロナ・ウィルス流行の影響により、国内外の資料所蔵機関に対する研究調査の実施が不可能となり、研究計画を大幅に変更することを余儀なくされた。 従来主張されていた文化期以降の合巻が様式等で読本への接近を行ったという見解に対し、文化元年(1804)五月の彩色摺の禁令により、読本・合巻の絵本化が進んだという仮説を提示し、文化期の読本の調査と文化元年以降の合巻の研究を行った。これは葛飾北斎を軸に、柳亭種彦が北斎のグループの後援の下に戯作の世界にデビューしたこと。北斎は禁令に対して、色摺絵本から読本挿絵にその主力を転換したこと。角丸屋甚助が主導して、名古屋の書肆、特に永楽屋東四郎による絵本出版が進んだことを指摘した。これは永楽屋にとって狭い名古屋の市場から、大きな市場である江戸への進出、さらには京都・大阪といった新たな市場の開拓に繋がるものであったこと。初代角丸屋甚助没後は角丸屋は絵本出版に消極的になったこと。葛飾北斎の絵本出版が柳亭種彦の仲介によって、角丸屋から西村屋与八へと移っていったこと。西村屋与八と葛飾北斎の関係は絵本にとどまらず、「冨嶽三十六景」のような大きなシリーズものの浮世絵を刊行するに至ったことなどを指摘した。また絵本の性質を考えるため、高精細デジタルマイクロスコープによる調査を行った。 彩色摺については以下のような指摘を行った。文化元年の彩色摺の禁止令は江戸に限定されたものであったこと(江戸期の出版取締りは三都それぞれが行っていた)。そのため同一書であっても、二種類の版本が刊行されたこと。両者の関係は前後関係を示さないものがあったこと。そして読本や合巻へも多大の影響を与えたことが判明した。 前述の仮説の有効性を裏付ける多くの資料を提示することが可能となり、曲亭馬琴以来展開されてきた、読本の合巻に対する優位性についても、根拠がないことを明らかにすることができた。
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現在までの達成度 (段落) |
令和2年度が最終年度であるため、記入しない。
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今後の研究の推進方策 |
令和2年度が最終年度であるため、記入しない。
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