昨年度と本年度と2年間にわたり新型コロナウィルス感染症の影響で研究出張がほとんど不可能な状態が続いたため、短期間の調査出張を除き、もっぱら人件費に費用を投入した。そのために番外曲の翻刻作業は順調に進展して、ほぼすべての番外謡本の翻刻を終了することが出来た。年度別に翻刻終了曲数を示すと、2017年度23曲、2018年度1曲、2019年度33曲、2020年度54曲で、未翻刻作品のほぼすべてをカバーすることが出来た。 世阿弥時代の能本のうち、宝山寺蔵の「江口」「柏崎」「知章」の3本については、金春系の謡本の系譜に直結する可能性がある。ただし〈江口〉〈知章〉は世阿弥時代の能本のみならず謡本諸本間の異同が少ない。世阿弥自筆本との異同の比較的大きな〈柏崎〉については、室町中期に金春家に伝来した能本の目録である『能本三十五番目録』に2種の伝本が伝来していた可能性があり、現存する世阿弥自筆本は禅竹が預かった本、散佚したもう一本が現存諸本の祖本となった禅竹相伝本の可能性があることが、世阿弥自筆本と現存謡本との異同のあり方から推測可能である。この他の「雲林院」「多度津左衛門」「盛久」「弱法師」はいずれも禅竹相伝本ではなかった可能性がある。このうち「雲林院」については、当該本に基づき禅竹が改作を施した可能性があり、「多度津左衛門」は元々は世阿弥の息男の元能相伝本であったが、禅竹に預けられ、そのまま上演の機会のないままに忘失されたものと思われる。「盛久」「弱法師」については、なお精査を要するため結論は差し控えたい。 音阿弥元重相伝本であったろう観世文庫蔵の「難波梅」は現存諸本の祖本的な位置にあることが想定可能である。その他の3曲はいずれも廃曲化したが、曲名内題の下に朱書された芸位が中三位という、当時の元重の世間的評価に対して著しく低い位付けの能であり、それが原因で廃曲化された可能性が考えられる。
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