研究課題/領域番号 |
17H02319
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研究機関 | 放送大学 |
研究代表者 |
野崎 歓 放送大学, 教養学部, 教授 (60218310)
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研究分担者 |
前之園 望 東京大学, 大学院人文社会系研究科(文学部), 助教 (20784375)
中地 義和 東京大学, 大学院人文社会系研究科(文学部), 名誉教授 (50188942)
MARIANNE SIMON・O 東京大学, 大学院人文社会系研究科(文学部), 准教授 (70447457)
塚本 昌則 東京大学, 大学院人文社会系研究科(文学部), 教授 (90242081)
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研究期間 (年度) |
2017-04-01 – 2022-03-31
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キーワード | フランス文学 / ロマン主義 / 小説 / 詩 / 作者 |
研究実績の概要 |
本年度の目標として掲げたのは以下の5点である。①ロマン主義と「作者」概念の再検討、②重要作家に関する研究・分析、③「作者」像の成立、解体と再生をめぐる具体例の研究・分析、④現代文学・芸術における「作者」像の再構築。①~③に関してはとりわけ、ジェラール・ド・ネルヴァルをめぐる研究・分析に力を注ぎ、一定の成果を上げることができた。具体的には、『東方紀行』(1851年)を対象として、旅のエクリチュールにうかがえるロマン派的な旅人としての「私」=作者像の成立、それが抱える本来的な不安定さを分析した。そして諸価値の揺れ動くさなかに立つがゆえに旅人が示し得るパラドクサルな豊かさを、『東方紀行』におけるピラミッドの主題を検討することによって明らかにした。その成果はフランス語論文としてまとめ、20年春にフランスの専門誌に発表される予定である。さらに、ネルヴァルの代表作と目される『火の娘たち』(1854年)について、詳細な注と解説を付した全訳を準備中であったが、本年度末に無事、岩波文庫の一巻として刊行することができた。短編小説やエッセイ、比較宗教学的論考や戯曲、さらには詩まで収めた『火の娘たち』の驚くべき多様な内容はそのまま、「つぎはぎだらけ」とネルヴァル自身の称する混成的な作者のあり方に対応している。作品ごとに変化するスタイルを日本語に移植する作業は、ロマン派的な作者=「私」が抱える分裂とその乗り越えとを捉え直す機会となった。 一昨年刊行した拙著『水の匂いがするようだ――井伏鱒二のほうへ』は、本研究の本筋に属す研究ではないにせよ、日本近代文学研究のフィールドにおいて作者=「私」の独自なありようを掘り起こす試みだった。この著作が昨年11月に角川財団学芸賞を受賞したことは、今後の研究にとって大きな励みとなった。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
本研究の大きな目標は、フランス・ロマン主義文学が21世紀の文学・芸術にとってもつ意義の探求である。そのために、ロマン主義概念を根本的に問い直し、19世紀から20世紀にかけての作者像の諸相を掘り下げながら、現代の文学・芸術につながるロマン主義的な主題の展開を分析することを課題としてきた。ネルヴァル、ランボー、ヴァレリーといった重要な文学者たちを実例として取り上げ、同時に現代の作家たちをも視野に収めて考察することで、これまで着実に研究の成果を積み重ねてきている。20世紀後半に有力であった批評的立場とは、テクストの「意味」の最終的な根拠としての「作者」を排除することで、読解の自由を担保するというものだった。だがその限界はすでに明らかだろう。「作者」への言及をいたずらにタブー視し排除するのではなく、むしろたえず矛盾と揺れをはらみ、挫折と再起を繰り返しながらテクストを織り上げ、かつテクストによって紡ぎ出される存在としての「作者」のあり方を、これまでの研究によってかなりの程度まで明らかにすることができた。とりわけ、昨年度末から世界が直面したウイルス禍の危機は、本研究にとっても大きな試練であるとともに、重要な意味をもつ。フランス文学の歴史は、社会や共同体が危機に瀕したとき、そのただなかから、「主体」の再生を賭けて新たな文学が創り出されてきたことを示している。これまでわれわれが詳細に研究してきた詩人、作家たちの例は、その事実を雄弁に語るものであり、今日における文学的創造の意義を考える手がかりを与えうるだろう。なお、研究代表者および研究分担者による研究成果の発表はこれまで活発に行われており、単行本や翻訳書、論文や学会発表、シンポジウムへの参加や講演など、多様な形で成果を世に問うていることを強調しておく。
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今後の研究の推進方策 |
『火の娘たち』の翻訳・注釈・解説の作業をとおして、ネルヴァルにおける作者像が間テクスト的なダイナミズムのただなかから生まれてくることが実感できたが、そのなかでとりわけウェルギリウス、ダンテとのつながりは改めて注目するに値する。彼らが伝説的に示す受難と彷徨の定めをわが身に引き受けながら、ロマン派的な詩人、作家像がどのように作り出されていったのか。ネルヴァルにおけるナポリ偏愛の重要な要素は、ウェルギリウスの死と作品による再生ではないか。そんなアイデアにもとづき、ナポリのウェルギリウスの墓を実地に訪れ、さらには死と再生の劇的舞台ともいうべきポンペイやヘルクラネウムの遺跡を尋ねて、ロマン主義における古代ローマの復活を跡づけるよすがとしたい。本研究の4年目に臨み、そういった海外での調査研究のヴィジョンをふくらませていたのだが、今般のウイルス禍によって、海外渡航の自由は著しく制限されることとなった。今後の状況も予断を許さないなか、本年は文献の読解分析に引き続き主眼を置かざるを得ない。ロマン主義からランボー、ヴァレリー、シュルレアリスムへと至る道筋についてはかなり調査分析を深め得たので、本年はさらに20世紀前半のいわゆる「文学の共和国」における「作者」の特権的な位置づけにまで視野を広げ、一方でプルーストに代表されるテクストの詩学の極限的な進展、他方ではマルローやサン=テグジュペリに代表される、テクストの「外部」にはみ出していく、あるいは人生そのものをテクスト化する冒険者的な作者像のあり方を、互いに対比させながら考えてみたい。後者は通常、ロマン主義とのつながりをほとんど云々されない作家たちである。しかしそこには、19世紀以来の文学者像を明確に引き継ぎながら同時に転覆させ、社会との新たな絆を結ぼうとする、今日につながる可能性の探求を見出せるはずである。
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