研究課題/領域番号 |
17H02385
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研究機関 | 新潟大学 |
研究代表者 |
矢田 俊文 新潟大学, 人文社会・教育科学系, 教授 (40200521)
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研究分担者 |
西山 昭仁 東京大学, 地震研究所, 助教 (50528924)
浅倉 有子 上越教育大学, 大学院学校教育研究科, 教授 (70167881)
原 直史 新潟大学, 人文社会・教育科学系, 教授 (70270931)
川岡 和美 (西尾和美) ノートルダム清心女子大学, 文学部, 教授 (80248343)
堀 健彦 新潟大学, 人文社会・教育科学系, 准教授 (80313493)
小野 映介 新潟大学, 人文社会・教育科学系, 准教授 (90432228)
谷口 央 首都大学東京, 人文科学研究科, 教授 (90526435)
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研究期間 (年度) |
2017-04-01 – 2020-03-31
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キーワード | 文禄5年(1596)閏7月地震 / 1855年安政江戸地震 / 1856年安政台風 / 1703年元禄関東地震 / 1711年伯耆・美作地震 / 1833年庄内沖地震 / 津浪痕跡 |
研究実績の概要 |
29年度の主な成果は以下の4点である。 1、江戸周辺部の武蔵国の葛西領・多摩地域・川崎領の1855年安政江戸地震と1856年安政台風の被害について家屋被害率・死亡者数の検討を行った。検討の結果、葛西領下之割笹ケ崎村の家屋被害はほぼ同じである以外は、すべて安政江戸地震の被害よりも安政台風の方が大きいことを明らかにした。 2、1703年元禄関東地震時の津波によって九十九里浜平野の片貝村で生じた被害の特徴を史料(文書・絵図)と地形・地質調査の両面から検討した。史料から津波被害を受けた範囲を推定し、当該地域でハンドオーガーおよびジオスライサーを用いた地質調査を行った。得られた地質資料について層相解析・珪藻分析・放射性炭素年代測定を実施し、1703年元禄関東地震による津波の痕跡を検出した。 3、1710年伯耆・美作地震では伯耆東三郡の河村郡・久米郡・八橋郡で潰家1912軒、死亡者75人の被害があり美作地域にも被害がおよんだこと、1711年伯耆・美作地震では、美作国大庭郡・真島郡に潰家118軒、半潰141軒の被害があり、伯耆東三郡を中心に潰家380余軒、死亡者4人の被害があったことを明らかにした。 4、文禄5年(1596)閏7月地震につき、西日本各地の揺れと被害状況を人々の認識、他の悪天候との複合を含めて明らかにした。また新潟市新津図書館所蔵の絵図を分析した結果、これが1833年庄内沖地震津波に際しての新潟湊における廻船被害の様子を記したものであることを確定しその意義を明らかにした。さらに1833年庄内沖地震について輪島の各地区における家屋被害と死者数およびその割合を地域的な偏りに注目しながら微地形との関係を留意しつつ論じた。その上で「輪島河合町本通・浦浜通絵図」の描画範囲が輪島の中心部を流れる河原田川右岸の河合町全体をカバーしておらず、地震津波の被害範囲に限定されていることを明らかにした。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
計画どおり元禄地震、宝永地震、安政江戸地震について研究を進めた。1703年元禄関東地震時の津波によって九十九里浜平野の片貝村で生じた被害の特徴を史料(文書・絵図)と地形・地質調査の両面から検討し、1703年元禄関東地震による津波の痕跡を検出した。宝永地震については、楽只堂年録について、被害報告書ごとに被害項目を抜き出し項目ごとの被害数を出すという基礎的作業を行っている。安政江戸地震については、江戸周辺部の武蔵国の葛西領・多摩地域・川崎領の1855年安政江戸地震と1856年安政台風の被害について、家屋被害率・死亡者数の検討を行った。検討の結果、葛西領下之割笹ケ崎村の家屋被害はほぼ同じである以外は、すべて安政江戸地震の被害よりも安政台風の方が大きいことを明らかにした。 それ以外の地震については、以下のことを明らかにした。 1710年伯耆・美作地震では伯耆東三郡の河村郡・久米郡・八橋郡で潰家1912軒、死亡者75人の被害があり美作地域にも被害がおよんだこと、1711年伯耆・美作地震では、美作国大庭郡・真島郡に潰家118軒、半潰141軒の被害があり、伯耆東三郡を中心に潰家380余軒、死亡者4人の被害があったことを明らかにした。ほかに文禄5年(1596)閏7月地震について史料的研究、1833年庄内沖地震ついて絵図.地形の検討、1847年善光寺地震について絵図・史料の検討を行なうなど、当初の計画どおり研究が進んでいる。
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今後の研究の推進方策 |
6月と11月に研究打ち合せ会を新潟大学で開催する。前近代の地震における家屋倒壊率と死亡者数とその原因を導きだす基礎的研究を行い、その方法を提示する。そのために以下の調査・研究を行う。 (1)1703年元禄地震・1707年宝永地震・1855年安政江戸地震を中心に、皆潰数・半潰数・死亡者数が記された史料の原本調査を行い翻刻し、家屋倒壊率を出し、死亡者の所在地を特定する。(2)家屋倒壊率と死亡者数を確定できた地点と死亡者所在地の地形分析を行い、死亡理由がどのような地形によるものかを明らかにする。分担に従い(1)、(2)を行う。 とくに30年度は、江戸・房総半島と四国の研究を中心に行う。宇佐美龍夫ほか2013(『日本被害地震総覧599-2012』東京大学出版会)では1703年元禄地震における江戸の死亡者は340人とする。1703年元禄地震は1923年関東地震と似た相模トラフ沿いの巨大地震(M7.9~8.2)で、相模から房総地域にかけて大きな被害を与えた。小田原藩小田原町の町屋の死者数は651人である(矢田俊文2014)。小田原は活断層の近くなので被害が大きいのであるが、江戸の人口から考えると340人という死亡者数は少ないと思われ、改めて検討する。 東海道三島宿(静岡県三島市)は南海トラフ地震の1707年宝永地震・1854年嘉永七年東海地震(いわゆる安政地震)の被災地で、1854年には信頼できる被害報告書によると90パーセント以上の家屋倒壊率の地域である。ところが、この地では死亡者が一人も出ていない。家屋倒壊率と死亡者数との関係を考える事例として重要な地域なので、重点的に地形調査を行う。三島市郷土館には近世三島宿の絵図を有しているので、絵図分析も平行して行う。 1707年宝永地震については、津波被害が大きい四国の被害数を集中的に検討し死者数を求める。
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