研究課題/領域番号 |
17H02487
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研究機関 | 東北大学 |
研究代表者 |
池田 亮 東北大学, 国際文化研究科, 准教授 (60447589)
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研究期間 (年度) |
2017-04-01 – 2022-03-31
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キーワード | 脱植民地化 / 冷戦 / 中東 / イギリス / フランス / 西側同盟 |
研究実績の概要 |
現在、1956年のスエズ戦争後の運河再開に向けた交渉過程を、イギリス政府の資料に依拠しつつ分析している。従来のスエズ危機研究では、イギリスが判断を誤って戦争に踏み切った結果、国際世論の批判を浴びて停戦と兵力撤退を余儀なくされ、中東で威信を失墜したことのみが指摘されてきた。しかし、戦争後の国際交渉過程を一次史料に依拠して分析すれば、実際にはイギリスの影響力が大きく残る形で運河再開が合意されたことが理解できる。その際、エジプトは1957年4月に、西側諸国を中心とする利用国団体と係争が勃発した場合、裁定を国際司法裁判所の管轄を受け入れる宣言をおこなった。これは明らかにイギリスが戦前の交渉過程で主張していた、運河の国際統制に類似するものであった。従って完全には目標通りではなかったものの、やはりイギリスの意図通り、エジプトによる運河の国有化には一定の国際統制が課せられたことを意味する。 同時にこれは、戦争に向かう過程でイギリスが運河の国際統制を強く主張していたことと一致する。故に、スエズ戦争が脱植民地化の潮流に抵抗し、運河奪還を目的としていたという伝統的な解釈にも疑問を呈さざるを得ない。この点は引き続き検討していきたい。 また、運河地帯に駐留した英仏軍が撤退する際、国連緊急軍(UNEF)に任務を引き継ぐという形式が取られた。実はイギリスは開戦直後から国連に任務を引き継ぐことを明言しており、その主張通りの展開となったと言える。1954年10月のスエズ基地からの撤退合意以後、エジプト・イスラエル間では軍事衝突の可能性が高まっていたことを考えると、戦後にイギリスが行ってきた治安維持の任務を国連に継承させたのだと言える。つまりスエズ危機の収束過程は、第二次大戦後の過剰な国際的関与を国連に担わせることによって、戦前の植民地帝国を非公式帝国へと再編する過程の一部と捉えることができるのである。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
現在、イギリス政府史料を読み進め、その分析を進めている。上記の通り、従来の画一的なスエズ危機解釈とは大きく異なる、概ね私が以前から考えていた仮説が実証できるだろうと予測している。
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今後の研究の推進方策 |
今後は、フランスの外交政策を分析する。スエズ危機研究においてはフランス政策がほぼ分析されることがなかったため、英仏の政策の乖離が戦争につながり、かつ運河再開に向けた交渉過程にも表面化したことが全く議論されて来なかった。これらのことを念頭に置いて研究を進める。また、カナダの公文書館において、運河地帯に駐留したUNEF結成を主導したピアソン外相の文書を調査する予定である。
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