研究課題/領域番号 |
17H04526
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研究機関 | 滋賀県立大学 |
研究代表者 |
田中 俊明 滋賀県立大学, 人間文化学部, 教授 (50183067)
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研究分担者 |
徐 光輝 龍谷大学, 国際学部, 教授 (70278498)
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研究期間 (年度) |
2017-04-01 – 2021-03-31
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キーワード | 玄菟郡 / 中国東北フロンティア / 楽浪郡 / 遼東郡 |
研究実績の概要 |
遼寧省東部・吉林省西部にある漢魏代の県城候補地としての土城調査は年度末の3月に7日間実施した。研究分担者の徐光輝は遅れて合流し、その後個人で北京などにある遺物の調査を進めた。連携の井上直樹もサバティカルで韓国に滞在していたため、韓国から遅れて合流した。わたしと研究協力者の東潮および中国の協力者である肖景全・周永向が全日程をともにした。韓国の鄭仁盛は、大学の都合により、日程をずらして1人でっほぼ同じコースを調査している。 ほんらいは、瀋陽・鉄嶺地区の調査を予定していたが、降雪のため、急遽南に調査地を移し、予定していた地域については次年度に回すことにした。実際調査したのは、普蘭店市博物館・普蘭店の姜屯墓群・張店城址・瓦房店の陳屯墓群・陳屯城址・熊岳の熊岳西墓群・熊岳古城、蓋州の光栄村漢墓・蓋州城東壁・鞍山市博物館・鞍山の旧堡遺址遠望・羊草庄漢墓、遼陽市博物館・遼陽の亮甲遺跡、新開河の孫城城址、遼寧省博物館などであった。これらは遼東郡の西南部地域に該当する。遼東郡は、課題である玄菟郡と密接に関わる地域で、紀元後106年頃とみられる第3玄菟郡への移動は、遼東郡との改編を含むものである。従って特にその東部地域には目を配る必要がある。今年度はそれよりも南の地域であったが、県城と推定される、または可能性の高い土城を4カ所調査することができ、現状を把握できた。また鞍山市博物館においては、清代の碑文ながら、遼東郡の1県である「居就県」と彫られた石碑を実見し、位置推定に新たな知見を得ることができた。分析は今後の課題であり、情報を蓄積する段階であるが(中国文物地図集や満洲10万分の1地図の、踏査地域ごとの事前準備は済ませている)、現地でのみ得られる情報は貴重である。また遼東半島にあったはずの文(満)県の位置推定にも今回の調査は有効であり、それは戦国燕の進出地域を限定する根拠ともなるものである。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
『中国文物地図集』遼寧分冊・吉林分冊、市県別文物志および関連する個別研究を集成し、分類している。調査地域については、対象地ごとに分類して調査に持参するため事前に必要があるが、それ以外の地域についてもほぼ集成を終えている。同時に、満洲10万分1地図が今なお有効であり、これも対象地ごとに位置を確認して、上記の資料に加えている。具体的な対象地域に対する検討は、研究分担者・連携研究者さらに協力者それぞれで進めているが、その内容については、今年の10月をめどにいったん集約することを考えている。それは今後の調査に具体的な目的を持つためでもある。わたしが進めている文献検討の部分についてふれておけば、玄菟郡地域については、特に第二玄菟郡の範囲が課題である。第二玄菟郡とは、最初の玄菟郡(前107年設置)が、前75年までの高句麗族の成長によって先端部分を楽浪郡に移し、高句麗族の地域に置いたいくつかの県城を放棄し、郡として後退したもので、県は高句麗・上殷台・西蓋馬の3県となったものである。それは新賓県の永陵鎮古城・白旗堡古城ともう1つ木奇にあると考えている。ただし木奇には、かつて推定されていた土城が近年土城ではない、という見解が現れており、それは現地調査において確認すべきところであるが、それが否定されると、西側は撫順の東洲小甲邦土城まで候補地がなく、範囲もそこまで広がっていたことを想定しなければならなくなる。調査はそのようなことを強く意識して進めることになる。第一玄菟郡の中国側範囲については、すでに知られている当該地域の土城をもとに想定をしているが、その可否は考古学的検討を経なければならない。北朝鮮側にも範囲が及んでいたが、それは近年の北朝鮮における調査の状況を把握するしかない。それは最近北朝鮮で調査を進めている延辺大学の鄭京日教授と話す機会を得たので、そこからも得ることができる。
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今後の研究の推進方策 |
本研究はそもそも古代における中国諸王朝(戦国燕~後燕)の東北フロンティア開発の先端基地であった遼東郡・玄菟郡・楽浪郡の位置と変遷を、現地調査を踏まえて詳細に検討するものである。それら諸郡の県城は、現在の中国遼寧省・吉林省から北朝鮮を経て韓国におよぶ地域に分布していた。フロンティア開発をあとづけるためには、これら遼東郡・玄菟郡・楽浪郡の具体的な変遷を知らなければならないが、それには各県城の位置・立地・規模・構造・遺物の年代等の追究が不可欠になる。さらに県城と他の県城とを結ぶ交通路についても、あわせて知る必要がある。 今後は、当初の計画に従って、中国東北部および韓国での調査を継続する。今年度に予定していた瀋陽・鉄嶺地区および、ほんらい本年度に予定している撫順・新賓地区をあわせて10月に調査する予定である。またその時までに、上記のように、個別の検討を集成し、共通認識にして、調査の目的を絞っておきたい。 また、中国諸王朝の開発のありかたとともに、それに対する在地勢力としての夫餘・高句麗・ワイ・韓などによる抵抗・協調について考察することも目的としている。これについては、中国正史、特には『魏志』東夷伝の精密な検討が必要であり、かつて公表した前半部分につづいて、韓伝・倭人伝についても詳細な訳注を作成している。これは前半部分と合わせて、『魏志』東夷伝訳注として刊行する予定である(吉川弘文館から刊行が決定済み)。 該当地域の平地土城は耕地化・工場化など開発のためにしだいに消滅しつつあり、早急な調査が必要であり、それを中心にしつつ、並行して文献・考古による追究を進めているし、今後も続ける方針である。
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