研究課題/領域番号 |
17H04597
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研究機関 | 法政大学 |
研究代表者 |
高村 雅彦 法政大学, デザイン工学部, 教授 (80343614)
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研究分担者 |
包 慕萍 大和大学, 理工学部, 准教授 (40536827)
高道 昌志 東京都立大学, 都市環境科学研究科, 助教 (40793352)
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研究期間 (年度) |
2017-04-01 – 2022-03-31
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キーワード | 中国 / 労働者住宅 / 近現代 / 近隣住区論 / ソ連 |
研究実績の概要 |
本研究は、1949年の新中国設立直後のいわゆる近現代期に形成された住宅地とそこに立地する集合住宅が対象である。この時期の集合住宅は、その実態や形成の過程が明らかにされることなく、いま多くが消失の危機にある。これらを現地調査し、まず空間の実態を記録して、その後の研究の基礎資料とすることが目的である。 大連、北京、上海に続いて、3年目の令和元年度は当初の計画通り広州の集合住宅について現地調査をおこなうことができた。加えて、当初の予定にはなかった長春についても同様の調査を実施した。しかしながら、令和2年初頭に始まるコロナ禍の影響によって海外渡航が制限され、本研究の主体をなす現地での実測・聞き取り調査がおこなえず、積極的な学術海外調査ができなくなった。そこで、令和2年の経費を令和3年に、続けて令和3年の経費の一部を令和4年の今年度に繰り越し現在に至っている。 まず、渡航が制限された2年間は、国内で入手可能な関係する著書や論文を収集し、本来対象となるはずの集合住宅について、文献資料からの分析をおこなった。それにより、とりわけ中国のこの時期の集合住宅は、ソ連からの影響を強く受けていることが改めて明らかになる一方で、中国全土のそれぞれの地域で、住棟配置や緑地の計画、構法や材料などその土地独自の変容を遂げつつそれぞれが成立していることを見出した。令和3年度には、その成果の一部を日本建築学会計画系論文集に発表している。 そして、その過程で比較的現地調査が可能な国内の事例が比較対象として重要であることが明らかになる。とくに、札幌と大阪の同時期の集合住宅について分析を開始し、いずれも中国と同じ労働者住宅群として計画された事例である。だが、その多くはすでに取り壊されていたため、現地に残る文献資料や聞き取り調査をおこなって補完を試みた。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
第一年度の大連と北京、第二年度の上海に続いて、第三年度の広州、長春といったように、当初の計画以上に、取り壊しの危険性が高い集合住宅を対象に実測を含めた現地調査を実施することができた。 この段階では①産業模範都市の時期、②ソ連の影響を受けた時期、③自立時期の三つに時期を区分できることが明らかになり、上海を経て広州を対象としたことにより、華北都市の生産性向上をベースとしたものよりも、華中・華南では利便性を追求し、身体的・精神的に良好な住環境が重視され、個々の気候にも対応させようとした意図を解明した。 その後のコロナ禍による渡航制限によって、主に文献資料の分析だけが実施可能ななかで、以下の二つの点において実際の空間と計画案にずれが生じていることが見えてきた。まず、マクロ的な視点から、街区、道路、住棟配置、緑地分布と当初計画との違いを把握し、その意図を探った。次に、ミクロ的視点に立って、集合住宅の間取り、施工技術、利用状況と住民の生活や住空間の特徴を分析した。これらの成果から、集合住宅地の成立の背景にはソ連の影響のみならず、華北、華東、華南のそれぞれにその土地府独自の特徴が表れていることを見出した。おおむね、中国の北部と南部に大別することができ、個々の場所の気候や地形との関係に着目することで、その違いが明らかとなった。とくに、これまでの住宅地や集合住宅研究において、衛生や健康の観点が見落されていたことを認識し、新しい視点からの歴史文献調査を進めて、研究成果を得ることができた。その一つは、国際シンポジウムで、「日本建築家による満洲健康住宅の考案」を発表し、近代日本の生活改善運動とリンクして、日本人建築家の満洲における「健康住宅」の対策と実践を明らかにした。加えて、ソ連以外の西欧の事例だけでなく、同時期の日本との関係も見えてきたため、札幌と大阪に対象を広げて分析をおこなっている。
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今後の研究の推進方策 |
コロナ禍の影響により実施できなかった1960年代の香港の現地調査を実施したい。イギリスの支配のもと、集合住宅の計画は新中国設立後の中国大陸ときわめて異なると推察され、その具体的な違いを現地調査によって明らかにしたい。 ただし、これらは現地調査が可能な場合の推進方策であり、もしかなわなかった場合には日本国内での資料および聞き取り調査を継続する。札幌と大阪に関する労働者住宅の資料は、一部は整理され公開されているが、公文書を含めてまだ未整理のものが多く、それを掘り下げつつ本研究との関係性を見出してみたい。ソ連の影響を受けつつも中国の北部と南部で違いを見せた集合住宅が、日本の札幌と大阪でいかなる共通点や相違点があるのか。それを明らかにすることで、東アジア全体を含めた1950年代から1960年代にかけての労働者住宅の比較を試みたい。
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