本研究は、1960年代に米国で開発されたガスリー法と呼ばれる先天性代謝疾患の検査技術が日本で普及した事例について分析し、新たに開発された医療技術が異なる社会的文脈において普及する過程を科学社会学の視点から理解することを目指している。1年目は国内におけるフェニルケトン尿症(PKU)という疾患やガスリー法に関する学術文献や関連する資料の収集を行った。国内の資料に関しては所属する大学で使用可能なデータベースなどを活用したほか、重要な位置付けにあると判断した書籍については必要に応じて購入した。 また、米国におけるPKUの歴史について重要な著書を持つ米国ボストン大学ダイアン・ポール教授を訪問し、今後の研究の方向性について議論を行ったほか、ガスリー法の開発者であるロバート・ガスリー博士のアーカイブ・コレクションを所有する米国ニューヨーク州立大学バッファロー校においてアーカイブ調査を実施した。その結果からは、1960年代中頃から個人研究者のレベルでは数回のインタラクションがあったものの、1970年代に入り日本国内での新生児マス・スクリーニング制度の導入に向けて交流の頻度が多くなり、1970年代後半には日本の研究者が国際的なネットワークの中で重要な役割を担うに至っていた様子を知ることができた。 当時をよく知る研究者の一人としてリストアップしていた北川照男氏が2017年12月にお亡くなりになるなど、今後の研究の進め方については再度検討が必要である一方、当時の情報が失われないためにも調査結果を適切な形で公表することが重要との認識を強めている。
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