1978年に策定された「日米防衛協力のための指針」は、従来、日米間で秘密裡になされていた共同計画策定が公式化された、日米安全保障関係史上、画期的な出来事だと位置づけられる。ゆえに、これ迄その「指針」策定をもたらした要因について、多くの研究がなされてきたが、その中には日米どちらのイニシアチブによって「指針」がもたらされたのかに関する論争が存在する。 平成30年度には、長年解決されてこなかった当該論争の解決に結びつく議論を行うべく、前年度までに収集した一次史料等を分析し、その結果を論文及び書籍にまとめた。第一に、「指針」策定の背景について考察した論文(「『日米防衛協力の指針』再考」)を投稿し、これが2019年度の『年報政治学』誌に掲載されることとなった。この論文では、「指針」策定をもたらす契機となった米国側のイニシアチブ、すなわち公式化要請の背景には、従来見逃されてきた、米国の国内政治要因があったのではないかとの仮説等、これまでの研究では明らかにされてこなかった新たな解釈を提示した。また、9月には、日米防衛協力の公式化とNPT批准問題に焦点を当てた論文を『問題と研究』誌に掲載した。これらの論文により、共同計画の公式化は米国のイニシアチブを契機としたにも関わらず、何故日本が「指針」策定過程においてイニシアチブを取ったのかという点を説得的に示すことができたと考える。さらに、1950年代から1970年代の日米共同防衛体制の成立を巡る政治過程についてまとめた書籍(『日米同盟における共同防衛体制の成立――条約締結から「日米防衛協力のための指針」策定まで』)も2019年度に出版されることとなったが、ここにも本研究の成果が含まれている。
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