本研究の目的は、明治20年代に「国民主義」を主唱したことで知られる新聞『日本』の紙面に登場する「国民感情(国民精神・愛国心)」ということばの意味内容を当時の歴史的文脈に照らして正確に捉え返すことであった。平成29年度に収集した資料を踏まえ、平成30年度は、明治23年8月~24年1月にかけての『日本』について、主筆・陸羯南の手に成る社説記事のみならず、論説や雑報など主筆以外の記者が書いた記事を精査し、かつ新聞紙面の視覚性に着眼した分析を行った。その結果、以下に概略をみる歴史的経過が明らかになった。 桜田文吾の貧民窟探険記という人気記事の連載という方法、あるいは社告を利用した記事のアピールや広告募集という方法を通じて、陸羯南を代表者とする日本新聞社は購読料収入とあわせて広告料収入の増収につなげ、創業2年目の新聞社の経営安定化を実現していた。その上で、自らが主唱する「国民主義」の論理を補強し、読者の共感を集めることにも成功した。『日本』の報道が要因となって醸成された「国民感情」を背景に、明治23年暮、内務省は第1回帝国議会で窮民救助法案を提出するに至る。この経緯をみると、一見『日本』の訴えが奏効したかにみえるが、実際は逆だった。そもそも、「社会自然の徳義心」に依頼すべき問題は「国法上の義務心」による強制では解決できないというのが持論だった陸羯南は、同法案とこれを提出した政府を酷評している。結局、同法案は廃案となり、『日本』も都市貧民問題に関連する報道を収束させてしまう。かくして問題の解決は先送りされたのである。 研究の総括として執筆した学術論文「新聞『日本』と都市貧民問題―明治23年8月~24年1月の紙面分析を通して」は『メディア史研究』第46号(2019年9月発行予定)に掲載されることが内定している。成果報告にあたっては国内研究会のみならず国際学会の場も活用した。
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