本研究は「傷つきを語る」営みを要請する社会の側の論理について検討を進めるものである。具体的には、被害の語りのアーカイビング(収集・保存・呈示)という新しい実践について、これを支える論理を「誰にとって、なぜ良いのか(あるいは良くないのか)」という視角から検討し、アーカイビングを正当化する社会的な力の作動を明らかにする。本年度は収集と呈示についての具体的な実践の調査に着手し、今まさに生起し進行している実践と、既に一定程度のアーカイビングを果たしている実践の現在的な状況について検討した。具体的には、「被害の語り」を展示している阪神・淡路大震災/東日本大震災および第二次世界大戦をめぐる記念館の現地調査あるいは資料収集を行なった。この作業から得られた知見および検討すべき論点は以下の通りである。 (1)「被害の語り」の展示を正当化する論理は、その出来事をめぐる「教訓」から導き出されていること。(2)「教訓」は出来事の起因(人災であるか震災であるか)によってそれぞれ特徴づけられており、そのため展示されている「被害の語り」の内容および位置付けに差異があること。 (3)「教訓」は、現在の視点から常に問い直されるものであるために、出来事からの時間的距離によっても「語り」の内容および位置付けが異なっていること。(4)「被害の語り」の展示の論理には、階級差およびジェンダー差が認められること。以上についての詳細な検討は論文等にて発表する。
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