本研究の目的は、狩谷エキ斎の『論衡』校勘について整理し、エキ斎の漢籍研究の方法及び狩谷エキ斎の業績における『論衡』校勘の位置づけと伝来について調査・考証することである。そのためには国内に散らばったエキ斎書き入れ本や、その他エキ斎ゆかりの人物が彼の校注を参照した諸本を調査し、それぞれの関係を明らかにする必要がある。平成30年度は前年度の調査に加え、エキ斎の死後その善本書目編纂に加わった小島抱沖の手校本(明刊本、静嘉堂文庫、47・11)の調査及び複写を行い、都立中央図書館の和刻本(井723)にもエキ斎の校注が転写されていることを確認した。 その他、エキ斎が所蔵していた宋版『論衡』の伝来の調査では、エキ斎以前の宋版『論衡』所蔵者とされる山梨稲川の日記『東寓日歴』(静岡県立中央図書館、K072・14)を閲覧したところ、『論衡』の遣り取りに関しての記述はなかったが、山梨稲川とエキ斎の交流について詳細を知ることができた。 平成29年及び30年度に調査した諸本を整理・検討した結果、エキ斎の自筆校本は静嘉堂文庫蔵和刻本(101・1)と慶應義塾蔵広漢魏叢書本(110X・567・100)の二本であり、そのうちの和刻本は、エキ斎が校注を書き入れた後に、山梨稲川とその親族に渡ったと考えられる。一方、広漢魏叢書本は、京都大学蔵久保謙手校本(中哲文C・XIVh・1-6)や狩野文庫広漢魏叢書本(1・282)にエキ斎の校注が転写されている。いずれの系統も、エキ斎自身やその門人と近い関係にあった人物によるものであることは同様である。これらエキ斎校注転写本には、明版以降の巻一累害篇の一丁分の脱落を補完する本はない。調査した諸本のうち、小島抱沖手校本のみが脱落を補完していることから、この本はエキ斎の校注のみに拠らず、宋版の原本に拠って校合を行ったのではないかという違いが見られた。
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