本研究の目的は、ロールズ主義的な正義の理論を肯定的に再評価することを試みるものである。そうしたロールズ主義の再評価は、現代の分配的正義論で有力な立場とされる運の平等主義との対比を通じて行われる。 本年度の研究では、主に、責任観念の正義の理論への組み込み方の点から、運の平等主義の問題点を明らかにした。 運の平等主義は、右派・リバタリアニズムとの対抗関係から、平等主義的正義の理論に責任の観念を取り入れようとする立場である。運の平等主義の立場では、責任は、各個人の過去の選択の評価(選択の賢さや正しさの程度)と分配上の取り分が一致することを要請する。つまり、責任の観点からして、あまり賢明でない選択をした個人は、分配上の取り分が少なくなることを受け容れるべきである。このような立場は、個人の選択の責任を完全に無視して平等な分配を主張する見解よりも説得力をもつと思われる。 しかしながら、このような責任の理解には、社会正義の理論への責任の組み込み方としては、以下二つの点で問題がある。第一に、個人のあらゆる選択は、社会における制度や規範を背景になされる。上記のような責任理解では、こうした当人の選択に帰せない制度・規範の影響を割り引かなければ責任の判断ができない。しかし、そうした割り引きの判断は非常に困難である。第二に、現在の社会構造(社会制度・規範)が不正なものであるとする。その場合、不正な社会構造を是正し正義にかなったものに変えることも市民(社会のメンバー)の責任とみなされうる。しかし、上記のような個人の取り分と選択の評価の一致に焦点をあてる責任理解では、このような集合性と関わる責任の側面を考慮することができない。 以上二つの問題点からして、運の平等主義による正義の理論への責任の組み込み方は適切ではなく、別の仕方で責任を正義の理論に組み込む必要がある。
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