平成30年度は国立映画アーカイブ、早稲田大学演劇博物館、および立命館大学国際平和ミュージアムなどで関東・関西都市の映画館プログラム、関連雑誌、文献を調査した。 ①調査により、関東の映画館におけるアトラクション上演は、アメリカ流の高級映画館の実践として、丸の内邦楽座のパラマウント社直営の1927年に導入されていたことを捉えた。次いで、関東の主要な洋画上映館での定着・普及は1929年初頭頃からであったことに鑑み、この時期に状況が変化した背景に、関西を中心とする松竹座チェーンの東京進出と、これによる洋画配給地図が変容と興行上の競争があったことを浮かび上がらせた。また関西からの興行実践の伝播は、道頓堀松竹座で演奏していた井田一郎が関東に移って関東でのジャズ受容を促進するなど、レビュー以外にも様々なかたちがあったことが示した。この分析の一部は、早稲田大学におけるシンポジウム(1929年1月)で栗原重一の事例を切り口として発表した。 ②松竹座チェーンを基軸とする映画配給網の分析にくわえ、地方都市における松竹系列館と首都圏などとの影響関係の調査を行った。具体的にはまとまった九州の映画館興行資料である「鶴田コレクション」(演劇博物館所蔵)の分析機会を得て、熊本電気館の興行記録を分析した。これと松竹映画の封切館である浅草帝国館・浅草電気館との比較により、映画文化の流通は浅草で作曲された楽曲もふくめて多方面にわたることが明らかになった。この考察は、1928年9月に熊本県八千代座で開催されたシンポジウムで発表し、映画をとりまく芸能・芸術実践の流通の複層性を示した。 ③この他、1920年代前半までの関東・関西の映画館での音楽実践にかんする調査結果を踏まえた映画興行と音楽実践の多様性に関する発表を、2019年3月にカリフォルニア大学ロサンゼルス校で行われたシンポジウムで発表した。
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